時間が足りないくらいのほうが満足度は高くなるかもしれない

今週の出張も予定通りスケジュールが終わり、後は帰るだけということで、新幹線に乗る前に東京駅近くの丸善に寄ってきた。
出張のときはできるだけ時間を確保して、丸善に寄るようにしているが、今回私に与えられた時間は1時間ちょっと。さっそく1階から店内を回ってみた。
 
やはり都会の本屋は規模が違う。話題の新刊が平積みになっており、まだまだ知らない知識にアクセスできることにワクワクさせられる。
地方の本屋では扱っている数が違うし、Amazonでもこういった探索はできない。やはり定期的に都会の本屋には顔を出さないといけないと痛感した。
 
今回の滞在は1時間ちょっと。30分くらいしかないときに比べるとゆっくり見て回ることができたが、それでも時間が足りない。もっといたいという衝動を抑えて、後ろ髪を引かれる思いで店を後にしたのだが、一方で新しい本に触れることもでき、満足度の高い滞在ではあった。
 
そんなことを思いながら、新幹線の待つ駅に向かったわけだが、今回のように本屋に滞在する時間が足りないときは、総じて満足度が高いような気がする。
逆に時間に余裕があるときは、いくらでもいることができるのに、あまりテンションが上がらないということがある。
 
同様のことは飲み会でもよくある。
久しぶりに学生時代の友人たちと飲んで、自分だけ途中で帰らないといけないというシチュエーションでは、満足度が高いことが多い。
しかし、同じメンツで飲むのであっても、帰りの制限がないときはそれほどでもなかったりする。
 
こんな感じで時間に制約があるときのほうが、満足度が高いという事象はよくあるように感じる。
そう感じる理由は、考えてみたところ、3つある。
 
1つは、楽しいと感じるマックスの状態で帰ることで、いい記憶だけが残るから。
最も感情が動いたときと、一連の出来事が終わったときの記憶だけが、全体的な印象を決定づけるという「ピーク・エンドの法則」というものがあるが、このピークとエンドがいっしょになることで、その効果が増大すると考えられる。
もう少しいたいという感情が湧いているタイミングと、帰らないといけないという最後のタイミングが重なるので、満足度が高くならないわけがないのである。
 
2つめは、加えてさらにもしもう少し時間があって、その場にいたとするとどうなったかを想像したときに、それまでの楽しい状態が続くことを想像するから。
実際にその場にいたとして、さらに楽しい時間が続く可能性もあれば、逆にそうでもないことや印象の良くないことが起こることもあり得る。
しかし、想像の世界では、いいことしか起きない。勝手に楽しいことを想像して、それが増幅するので、満足度がさらに高まるというわけである。
 
最後に3つめに、早めに切り上げたほうが体調がよく、いい印象が残る、ということもあると思う。
本屋の場合、時間に余裕があり、長く滞在すると、だいたい腰が痛くなる。これが結局満足度を下げてしまう。
飲み会の場合は、時間が長くなり、その分飲み過ぎてしまい、翌日に二日酔いになったりと体調がすぐれないことが、これまた満足度を下げてしまう。
体調がいいところで切り上げることが、その体験の満足度に影響する、というわけである。
 
となると、楽しい時間は一定のところで切り上げるのがいいということになるが、実際にその場面にいると難しい。
本屋であれ、飲み会であれ、楽しい時間は制約が許す限りそこに居たいと思うのが人情である。
とはいえ、長くなりすぎると満足度が下がることは往々にしてあるので、そのことは頭に入れておいて、ピークが過ぎたころには切り上げるよう、心がけたいと思う。
 
ということで、制約が満足度を高めるという話でした。