満員電車だったからこそ、読書好きになれた

昨日のこのブログの記事で、めちゃくちゃ混んでいる路線沿線の住居を選んでしまったため後悔したということを書いた。
ただ、この満員電車、悪いことばかりだったかと言えば、そういうわけでもない。
 
もちろん、冬でもガンガンに冷房を効かすような満員電車はきつかったし、残業帰りの酒臭い車両はこれはこれできつかった。
あまりいい思い出はないのだが、それでも満員電車のおかげで、本を読む習慣が身についたのは、間違いない。
 
入社初日から遅刻しそうになった私は、翌日からもう少し早い時間の電車に乗るようにしたが、それでも当然のことながら満員電車から解放されたわけではない。
このままでは通勤するだけで疲弊してしまうと考え、いくつかの改善をしていくことになる。
 
まずは、電車内でのポジションを工夫すること。
最初はわけもわからず電車に乗り込み、ただその波に押されるように奥の方に紛れ込んでいた。つり革もつかめず、加速と減速のたびに足と身体の重心の位置がずれ、斜めに傾いたまま通勤するという感じであった。
これではかなり疲れてしまうので、まずはどうにか座っている人の前のポジションを確保するようになる。ここだとつり革につかまれるので、正しい姿勢に戻すことができる。あわせて、網棚の位置も近いためカバンも置けて、両手がフリーになるので、かなり通勤が楽になった。
 
次の改善は、通勤時間をずらすということ。
当時の会社はフレックス制を導入しており、制度上は10時までに出社していいことになっていた。
それを利用して、入社半年くらいしたあたりから私は徐々に出社時間を遅らせていった。すでに残業もけっこうしていたので、まわりからはとくに何も言われたことはなかった。隣の先輩も出社が遅かったこともあり、最終的には9時半くらいにまで出社を遅らせることができた。
30分遅いと電車の混み具合もだいぶ緩和される。また電車の流れもよくなり、乗車時間も短くなるため、出社時間は30分ずらすことで、家を出る時間も40分くらい遅らせることができた。
 
そうなると、車内の混雑具合もピーク時に比べるとだいぶましになるので、出入口付近の座席の横のポジションを確保できるようになった。
このポジションは、座っている人と立っている人を隔てるための手すりや板があるため、安定して立っておくことができ、カバンを網棚に置いておくことができるため、両手がフリーにすることができた。さらには座っている人の上部は空間が空いているため、ここで本を読むこともできる。
このことに気づいてからは、苦痛である通勤時間を有意義なものにしようと、毎日簡単に読める本をもって乗車するようになった。
 
往復で1時間弱の乗車時間であったが、そこから本を読むようになり、通勤時間が楽しくなるようになっていった。
それまでは読書習慣はなく、どちらかというと読書は苦痛なイメージだったのだが、より苦痛な通勤時間で本を読み出してからは、読書自体がまったく苦痛ではなくなった。
短い本であれば1日の往復で1冊読めるようになり、次第に読書習慣が定着することになった。
 
今思えば、満員電車が私を読書好きにしてくれたと思う。
苦痛な時間をどうにか少しでも快適にしようと思った結果、思いがけず良い習慣を身につけることができたのだから面白い。
 
こう考えると、何か不満な状況も、それを制約として捉えて改善していけば、想定外の結果に結びつくこともあるのかもしれない、と思ったりする。
 
ということで、当初後悔した住居選びも、災い転じて福となす、という話でした。