年賀状を再び出そうか迷っている話

2年前の2019年の年末、私はそれまで続けてきた年賀状を出すのを止めた。
虚礼廃止ではないが、惰性で送っているような気もしたし、何より毎年年末に年賀状のことを考えるのが憂鬱だった。
 
年賀状は出すまでの工程が思いの外長い。40も過ぎるとそれまでの付き合いもそれなりにあるので、出す枚数も多くなる。
前は、宛名やコメントも書いて出していたが、次第に宛名印刷に頼るようになり、コメントも一切書かずに出すようになった。
それだったら、無理して出さなくてもいいのではないか、という結論になり、ここ2年出していない。
大学時代以降の知り合いはだいたいFacebookでつながっているので、そこで新年の挨拶を書くことにした。
 
ただ、これでスッキリしたかというと、そうでもなかった。年賀状をやめれば、もう年賀状のことは考えなくてもいいと思っていたのだが、そうはならずモヤモヤが残っていたのである。
去年の年末もそのモヤモヤがあったのだが、一度止めたものをまた復活するのもどうかと思ったのと、また出すのが面倒くさいのとで、結局出さずにいた。
 
そして、この年末。今回は正直迷っている。
まだ出さないことのモヤモヤが残っているのだが、なんでそのモヤモヤがあるのかちょっと考えてみた結果、3つの理由が思い浮かんだ。
 
1つは、Facebookでつながってる知り合いが多いとは言え、そこに入っていない人もいるということ。
Facebookでつながっておらず、数年に1度しか合わない人、もしかするともう合わない人。そういった人とのつながりという点において、年賀状にもまだ果たす役割があるのではないかと思うわけである。
Facebookは年賀状の代替ではなく、補完のなのかもしれない。
 
2つめは、年賀状を止めるときにきちんとそのことを年賀状で伝えていないこと。
年賀状を止めたことは社内の人間には口頭で伝えたし、Facebookでつながっている人にはそこで伝えたのだが、前の年の年賀状に来年から止めますと書いておいたわけではないので、年賀状でしかつながりがない人には唐突に来なくなったイメージがあってもおかしくない。ほとんどの人は気にしていないと思うのだが、こっちとしてはそれがモヤモヤにつながっている。
どうせ止めるにしてもこのあたりの手順をきちんと踏んでいなかったことに引け目があるのである。
 
最後3つめは、今後引っ越しなどした場合に、その連絡の手段がないということ。
今のところ予定はないのだが、転居した場合などに、誰にその情報を知らせるかをふと考えてみると、けっこう困るなと思ってしまった。
こちらから年賀状を送らなくても、送ってきてくれる人はいる。こういった人に住所が変わったことくらいはきちんとお知らせしないといけないだろうなと思うのだが、年賀状を出すのを止めてからリスト管理もやめてしまったので、いざ出すとなると大変だろうと思ったわけである。
Facebookのつながりはけっこう雑多になってしまったので、ここで住所情報を出すわけにもいかない。こういう情報は書面で出したほうがいいと思うのだが、その出す先のリストを更新していくためにも年賀状を出し続けたほうがいいと思い出したわけである。
 
とはいえ、せっかく止めたのに、また復活するのは労力がかかる。リストも更新していないので、このリストを整理するところからはじめないといけないからめんどくさい。
それに一度止めて復活したら次は止められない、という変な制約も課せられているような気にもなる。
 
そんなわけで、2022年の年賀状を出すのか出さないのか、まだちょっと悩んでいるのだが、出すのであればそろそろ準備に取り掛からないと間に合わない。
出すほうに心は向いているのだが、早々に結論を出して、出すのであれば早めに準備に取り掛かりたい。
 
ということで、年賀状を止めてもスッキリしなかった、という話でした。