年賀状を出すのはやめるのは、不可逆的なことかもしれない

私は個人として出す年賀状を2020年の新春分からやめた。
今年は喪中ということもあったが、喪中はがきも出さなかったので、今回でやめて2年目となる。
 
年賀状を出すという行為は非常にストレスだった。
工程が多く、大きく以下のような作業に分解できるのだが、それぞれで負担が大きかった。
毎年徐々に改善を加えていっていたが、それでも作業が多く、めんどくさい。
いつも年末ギリギリになって作業をはじめるということが多かった。
 
年賀状を出すにあたって、私がやっていた作業はざっと以下のようなものである。
 
1.リストづくり
社会人になりたてのころは、毎年都度誰に出すかリストをつくっていた。
途中から出す人も多くなり、これではやっていけないとエクセルで管理するようになる。
これをやりはじめてからだいぶ楽にはなったが、それでも毎年誰に出すか、出さないかを判断する作業は正直めんどくさい。
今年から出すのやめて、それで相手から来るときまずい、とか考え出すとキリがなかった。
 
2.デザイン
当初は、年末ギリギリになって、近くの郵便局か雑貨屋みたいなところで、そこそこのデザインの年賀状を書いて出していた。
ところが、これだと1枚1枚に自分の住所と名前を書かないといけない。
100枚以上出すようになってからはこれではやってられないと、ネットでデザインを選んで、そこに住所と名前も入れて印刷してもらうようになった。
これで作業はだいぶ楽になった。
ただ、ネットだと多くの中から選ぶことができてしまうため、どのデザインにしよう悩む時間が長くなる。
センスがいいと思われたいという欲もちょっとあり、毎年デザイン選びには時間がかかっていた。
さらに子どもができると、どの写真を載せたらいいか選ぶのに、さらに時間がかかるということが起こっていた。
これ自体は楽しい作業でもあるのだが、時間がかかるし、やりはじめるまで億劫だったりする。
 
3.宛名書き
これも最初のころは自分で全部書いていた。
誰に出すか決めるのが遅くなるので、とりあえずデザインと住所と名前だけを印刷して送ってもらって、年末になって誰に出すか決めて宛名を書き始めていた。
しかし、これは誰に出すか早く決めればいいということに気づき、それから宛名も印刷してもらうようにした。
これは非常に楽である。なんでもっと早く利用しなかったのか、後悔したくらいだった。
 
4.コメント書き
さらには、ここに各自に対してのコメントを書かなければならない。
いや、書かなくてもいいのだけど、なかにはコメントのない年賀状なんて意味がないよねなんて言う人もいて、ある程度親しい人には書いておいたほうがいいのかも、というプレッシャーがかかるものである。
そんな気の利いたコメントを書くには、ちょっと時間を使って考えないといけず、その時間と労力は馬鹿にならない。
しかし、最後のほうはこのコメントを書くのも放棄して、デザインと宛名を印刷してくれるネットの業者から直接投函してもらっていた。こうなると、パソコンの画面をポチッとした時点で年賀状の作業が終了となり、なんとも手離れがよかった。
 
5.投函
年賀状を自分で書くと、当然のことながらその年賀状は自分で投函しないといけない。
私はいつもギリギリに作成していたので、投函するのは、年の瀬もせまっていた。
すると、元旦に届けるためには、早く投函しなければならず、そのためにポストではなく郵便局、それも本局にまで出しに行くことが多かった。
この時期は同じようにギリギリの人が多いため、郵便局のまわりは車で混雑し、年賀状を投函するだけで一仕事という感じであった。
しかし、これも上述のとおり、ネットの印刷業者から直接投函すると、だいぶ楽になった。
 
6.来た年賀状のチェックし、出していない人の分を書いて投函する
年賀状を出せばそれで終わりではない。来た年賀状をチェックし、来ているのに出していない人には、改めて宛名を書き、投函しないといけない。
しかも、これが元旦だけでなく、2日、3日と続くので、毎日この作業をやらなくてはいけない。
 
最後の数年についてはかなりアウトソーシング化できていたので、1.リスト化作業(出す出さないの意思決定と、リストへの追加の作業)、2.デザインと写真を選ぶ作業、6.来た年賀状のチェックと宛名書きと投函の作業にまで、省力化できていたのだが、それでもめんどくさい、ということになり、思い切ってやめることにした。
 
で、やめてしまっての感想だが、スッキリしたのが半分、モヤモヤする気持ちが半分というのが正直なところである。
憂鬱な作業から解放されたのはほんとに良かったと思う。
毎年、めんどくさいことをしなくていいのは大きい。
 
その反面、出さないことへの後ろめたさはまだ残っている。
年明けに年賀状の話題になると入りづらい。
なんとも言えない、輪に入れない感があるのである。
また、地方に住んでいるので、誰も直接は言わないが、年賀状くらいは出すべきだ、と思っている人が多そうということも、モヤモヤにつながっているのだと思う。
 
しかしながら、もう戻ることはできない。
いや、戻ろうと思えば戻れるのだけど、またリストを整理し直すという作業をやる気になれないのである。
それにいったん年賀状をやめておいて、どの顔して再開しましたと言えばいいのかわからない(自意識過剰なのはわかっているが)。
よく、年賀状はやめてみて、また必要だと思えば再開すればいい、という意見もあるが、私の場合はそれができないという感じがする。
けっこう不可逆的なところがあるなと感じている。
 
ということで、向こう数年間は年賀状を出さないことに対するモヤモヤが残るんだろうなという話でした。