子どもは親の言うことを聞くべき存在か、それとも一人の人間として対等な存在か

先日、朝の時間に、妻が娘(もうすぐ6歳)に対して「ウインナーいくついる?」と聞いた。
それに対して、娘は「3つ」と答える。
さらに妻は、だったら「2つでいいね」と2つだけ準備を進める。
このやりとりを聞いて、私は「だったら、はじめから聞かなければいいのに!」とツッコミを入れる。
 
これとは別で、娘はいまだに妻が掃除機をかけると怖がって、逃げたりソファに上ったりする。
娘が幼稚園に出てから掃除機をかければいいのにと思うのだが、妻は怖がる娘をお構いなしに、掃除を進める。
妻としては、思い立ったときにやってしまいたい、息子(1歳)がハイハイして動き出す前に掃除をしてしまいたいなど理由はあるようだが、こんなことが毎朝のように起こる。
 
 
子どもは、親の言うことを聞くべき従属的な存在なのか、それとも一人の人間として親と対等な存在なのか。
妻の行動を見ていると、無意識のうちに前者の考え方で娘に接していると思われる。
妻曰く、子どものころ、妻のお母さんからどちらかというと頭ごなしに言われたことが多く、そのことをよく思っていないとのこと。
それにも関わらず、自分も同じような行動を取ってしまうのが、子育ての難しいところ。
 
子どもを従属的な存在と見るか、対等な存在と見るか、これは良し悪しではなく、どちらを指向するかといった類の話だと思っている。
だから、自らの言うことを聞かせるように育てるのが悪いと言うつもりはない。あくまでも好みというかどちらを指向したいかの問題である。
また、0か100かの問題でもなく、どちら寄りかといった類の話でもある。場面によっても変わってくるだろう。
ただ、どちらを指向するかに意識的になっていないと、その場の感情が行動に表れやすくなってしまうので、自覚的であったほうがいいとは思っている。
 
ちなみに私自身は、自分の子どもに対して、従属的な存在と見るか、対等な存在と見るか、と聞かれたら後者であると答える。
ただ、原則論としては対等であるとは思っていても、実際の行動がそうはなっていないことも多々あって反省することは多い。それでも、できるだけ対等という考え方に沿った行動を取ろうと心がけてはいるつもりではある。
 
さて、妻の娘に対する行動を見ていて、こんなことを考えたので、妻にこのことを伝えてみようと思っている。
伝えるときのポイント3つ。
 
まずは、これは良い悪いの話ではないということ。今の行動自体を否定するつもりはないことを伝えるのが大事。どちらを指向したいのか、それを確認したいということを丁寧に伝えたい。
 
次に、どちらかを指向したいと明確にしたならば、それと整合するような行動を取ってほしいということ。子どもは親の言うことを聞くべきであると考えるのならばそのままでいいと思うが、対等な関係であるべきと考えるのであれば、相手が嫌なことをしない、どうしてもしなければならない理由があるのであればそれをきちんと説明する、といった大人に対するのと同じような行動を取ってほしいと伝えたい。
 
最後に、自分は娘と(息子とも)対等な関係で接したいと思っているので、できれば妻にも同じように指向してほしいということ。子どもから見て、父親と母親が異なる原則で行動されるのは混乱のもとかと思う。無理にとは言わないが、できれば同じような考え方で子どもに接してほしいということを伝えたいと思う。
ただ、対応な関係と言っても、それはなんでもかんでも子どもの言うことを聞くということではない、ということもあわせて確認しておく必要があるだろう。
 
ということで、親として、親と子どもの関係性に自覚的であったほうがいいと思った、という話でした。