ワクチン接種に見る、自分の気持ちに正直でないことの危険性

新型コロナウイルスのワクチン接種が進んでいる。
私のまわりでも高齢者を中心に接種が進んでいるという話を聞くようになり、また大企業の工場では職域接種も行われているようである。
思ったよりも早く自分も接種できるのではないかと感じる今日のこのごろである。できるだけ早く接種してしまいたい。
 
一方で、いろいろと話を聞いていると、私のまわりでもワクチンを接種したくない、もしくは接種しないと言っている人が一定数いるようだ。
マスコミの報道の影響からか、mNRAという新しい種類のワクチンではどのような副反応があるかわからないということで、リスクのほうだけがクローズアップされ、受けたくないという人も出てきているようである。
本来であれば、受けたときのリスク(と効果)、受けなかったときのリスクを冷静に判断するだけだと思うが、人間の脳はそううまくできていないので、難しいところである。
ワクチン接種については、できるだけ正確な情報を得て判断してほしいとは思うが、どこまでいっても個人の自由なので、それ以上は議論しても意味がないと思っている。
 
ただ、受けたくないという人の中には、ワクチンが嫌というよりかは、注射が嫌いという人たちが一定数いるのではないかと思っている。
しかも、本当は注射が嫌いなのに、そう言うと恥ずかしいからということで、無意識のうちに他に理由をつけてワクチンを拒んでいる人も多いのではないかと思っている。
これについても、最終的には個人の自由なので、他人がとやかく言うことではないのだが、自分の本当の気持ちではなく、まわりに左右にされてそう思い込んでいるという状態はあまり健全ではないと思っている。
 
なぜこれが健全ではないのか。
それは無自覚のうちに自分に嘘をつくクセがついて、本心がみえなくなってしまうからである。
 
先日、ちきりん氏がVoicyで、まわりがほしいと思っているものではなく、自分が本当に何がほしいかわかるということが、幸せに生きるために必要な最初の条件だと話していた。
まわりが欲しているものが自分も欲しいものと錯覚してしまいがちだが、本当はそうでないものもけっこうあるのではないかということで、ちきりん氏の場合は、正社員という立場がそうだったということであった。
自分の本心はどこにあるのかということは意識しておかないと、忘れ去られがちになるというのはまったくそのとおりであると感じた。
 
注射が嫌いという本心を隠すこと自体は些細なことかもしれないが、そういったことが積み重なると、まわりの意見と自分の本心の区別がつかなくなってしまう危険性がある。
ワクチンをめぐるまわりの反応とVoicyを聞いて、常日頃から自分の気持ちはどうなのか、強く意識する必要があるなと、思った次第である。
 
ということで、自分は自分に正直でありたい、という話でした。