「映画えんとつ町のプペル」を2回見に行った感想

昨年末に「映画えんとつ町のプペル」を2回見に行った。
1度目は、公演初日の12月25日に娘と二人で。もう1回は、大晦日に娘に加えて、甥っ子・姪っ子たちと。
と言っても、1度目は夕方の回ということで、渋滞にハマり、始まって30分くらい経ってからとなってしまったので、実質は1.5回くらいか。
ということで、少し時間は経ったのだが、今回は2回見に行った感想をまとめておこうと思う。
 
感想の前に、まずは西野亮廣氏に対する私のスタンスについて。
私は西野氏が主催するオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」に入っている。
氏も説明するように、オンラインサロンと言ってもメルマガのようなもので、毎日FB上にアップさせる文章を楽しみにしているし、中にはビジネスの参考にさせてもらっていることもある。
この「映画えんとつ町のプペル」も西野氏の半生を色濃く投影したものであり、彼が今後映画の世界観を「まち」に落とし込み、テーマパークとは違った形でエンターテイメントをつくり、ディズニーに対抗できるような存在を目指している、というくらいのことは認識している。
 
ちなみに2回見に行ったのは、クラウドファンディングのリターンでムビチケがあったから。
 
そんな状況で、毎日のオンラインサロンの記事やVoicyの放送の情報も入っていたので、どんな仕上がりなのだろうと期待して映画館に行ったのだが、正直感動しなかった。
 
理由は2つ。
 
1つめは、主人公であるルビッチが、なぜそこまでして星を見たいと思うのか、がきちんと描かれていないから。
父親であるブルーノから、星があるんだと言われていたということはわかるが、大きなリスクを冒してまで見たい動機が最後まで伝わってこなかった。
煙突から出る煙がなくなれば、母親の病気が治るということであれば、根本的な動機になり得ると思うが、それであれば、星が見たいではなく、煙をなくしたいが動機になる。
動機がなくたっていいじゃないか、と言われればそれもそうなのだが、物語の根幹のところだと思うので、個人的にはここが腹落ちしないことには話にのめりこめなかった。
もしかすると、今後の続編でそのあたりの動機が明らかになるのかもしれないけれど、この映画の完成度を上げるのであれば、ここは丁寧に描いてほしかったところだ。
 
2つめは、1つめにも通じるのだが、アントニオという少年がドリームキラーとしてルビッチの邪魔をする動機が、これまた弱いと思ったから。
劇中で、アントニオが、星をチラッと見たことがあるのだけど、星を見ようとするのを諦めた存在として描かれている。
ただこれだけではアントニオが星をどうしても見たかったということがわからないし、それができなかったからルビッチの邪魔をする動機としても弱い。
ただのいじめっ子以上にしか見えない。
 
アントニオも星を見ることが夢で、諦めざるを得ない事情があったということが丁寧に描かれていればそこも伝わってくるのかもしれないが、100分という尺でそれを表現するのは難しいなと感じた。
 
全体的に西野氏の半生を投影しようとして、いろいろと入れ過ぎたということだろうか。
もっと丁寧にルビッチが星を見たい理由を描いてくれれば、もう少し物語に入り込むができたのだろうけど、大きなリスクを冒してでも星を見たいその動機がわからないので、全体として軸が抜けている印象を受けたのだと思う。
 
余談だが、1回目は公開初日に行ったので、おそらくオンラインサロンのメンバーが多かったと推察される。
そのため、この上映回では、最後エンドロールの後にパラパラと拍手が起こったが、私は正直拍手する気になれなかった。
仮にまわりがスタンディングオベーションしてても、私は一人で座っていただろうと思う。
 
以上、全体的には悪い話ではないと思うのだけど、星の見たい動機が薄く、軸が弱いために上滑りした作品という印象を受けた、という感想でした。