洗濯物をたたむのは、嫌いではない

去年、下の息子が生まれたのだが、それまでの間バタバタであった。
妊娠がわかった段階から妻の悪阻がひどくて、2度入院することになった。
そんな状況の中でコロナの影響も出だして、上の娘の幼稚園が休園になったりで、いろいろと対応に追われた。
 
その間は妻がいないので、私ができる限り家事をした。
基本家事はめんどうくさいというか嫌いだったのだが、改めてやってみることで、それほど嫌いではないと気づいたものもあった。それが洗濯物をたたむということであった。
 
私は独身生活が長かったので、当然のことながら洗濯は自分で行っていた。
学生のころから自分で洗濯をするようになったのだが、当時は乾燥機付きの洗濯機もなかったので、仕方なく自分で干していた。
干す作業はかなりめんどうだったが、干さないときちんと乾かないし、不衛生なので仕方なくやっていた。
干すところまでは仕方なくやったが、乾いた洗濯物はたたまずにそのままにしていた。ハンガーや物干しにそのまま置いておくことがほとんどで、スペースがなくなったときは外して洗濯物を山積みにしていた。
洗濯物をたたむのは、大掃除のときくらいで、どうせまた着るものをイチイチたたんでどうするんだというのが本音であった。
 
その後結婚してからも、心境に変化はなかったのだが、上述のとおり妻がいなかったので仕方なくやってみると、思ってたよりは嫌でないなということに気づいたというわけである。
そのときは、動画や音声コンテンツを視聴しながらやってみたのだが、時間が経つのも早く、ながら時間の活用ができていいなと思ったくらいである。
 
で、最近のこと。
妻が下の息子の世話でしんどそうだったので、代わりに洗濯物をたたんでみた。
とくに動画を見るでもなく、音声コンテンツを聞くでもなく、ただただ洗濯物をたたんでみたのだった。
すると、これが悪くない。
なんというか、それだけに集中できる感じで心地よいのである。
あっという間に、すべての洗濯物をたたみ終え、もう少しやりたいと思ったくらいである。
 
そう考えると、最近これまでめんどうだと思っていたことが、そうでもないと感じることが多い。
会社でもひたすら代表印を押すという作業があったりするのだが、これも集中してやってみると時間が経つのが早い。
 
これまでとどういった心境の変化があったのかはわからないが、一見雑事と思える作業を、イヤイヤではなく、落ち着いた気持ちで集中してやれるようになっているのは、間違いない。
このこと自体は悪いことではないので、他にもこういった作業がないか探してみたいと思った次第である。
 
ということで、一見めんどくさい作業を、前向きに集中してできるということが大人になるということかもしれない、と思ったという話でした。