環境が人をつくる

先日、2月12日(金)のVoicy西野亮廣エンタメ研究所「「個人の能力差」なんて無い?」を聞いていて、似たようなことがあったなと思ったので、ここでまとめておきたい。
 
Voicyの内容は、成果が出せるかどうかは、個人の能力や意思よりも環境によって決まっているのではないか、という趣旨で、西野氏自身オンラインサロンを主催してアウトプットし続けないといけない環境にいるからこそ、インプットし続けられると言っている。
もともと持っている能力の個人差なんてのは僅かで、置かれている環境によって決定されることが多いのではないか、ということであった。
 
この話を聞いて、似たようなことを感じたというのは、私が予備校に通ってきたときのことだ。
 
私は現役での大学受験に失敗し、1年間浪人することになった。
予備校に通うことにし、毎日片道1時間かけて電車で通学した。
通った予備校は厳しいことで有名で、午前中は英語・数学を中心にクラスごとの授業、午後からは選択授業だったのだが、その選択授業がない日も授業と同じ時間で自習時間が設定されており、自習時間では毎回マークシートで記録して、いつ自習したかが毎月家に送られるというシステムだった。
また、17時以降も同様の自習タイムが設定されており、たしか21時くらいまでは自習して帰ることができるという体制であった。
 
そんな環境の中、1学期はみんな遅くまで自習して帰るのだが、夏休みくらいから17時くらいに帰るグループと、夜まで残るグループに分かれてくる。
最初はみんな土日も自習にやってきたのだが、17時に帰るグループは途中から家で勉強するからと行かなくなり、遅くまで残るグループは土日も予備校に来ていた。
私はたまたま、まわりに遅くまで残る友人が多く、それにつられて毎日20時や21時まで自習し、土日もかかさず予備校に行って勉強していた。
 
1年後の受験の結果はおもしろいくらいに明暗が分かれ、遅くまで残っていたグループは当初の志望校に合格し、早く帰っていたグループは当初の志望校からランクを下げたり、すべり止めの大学にようやく合格するといった具合だった。
私は当初の志望校だけでなく、記念受験で受けた大学にも合格し、その大学に進学することになった。
 
ここで言いたいのは、私がまじめだったということではなく、たまたま遅くまで残るグループに属していたのが功を奏したということだ。
そちらのグループにいたのは、ほんとたまたまで、近くにいる友人が早く帰るグループであれば、私もそちらにいた可能性もあったと思う。
遅くまで勉強していたメンバーを見てみると、特段まじめな人間ばかりとは言えず、早く帰っていたグループにもいわゆるまじめな友人はいた。
また、同じ高校の出身者が多かったので、学力レベルにそれほど差があるわけでもない。
 
そう考えると、個人の能力差というよりも、どちらの環境に乗っかったかが大きな差をつくったのだと思う。
そして、私自身は、遅くまで勉強して帰るという流れに乗ることができただけというのが実感である。
ただ、私も遅くまで勉強して帰るという流れをつくった一人とも言え、それがまわりにいい影響を与えた可能性はあると思う。
そうやって、いい流れをお互いつくることができたので、遅くまで勉強していたグループは、比較するといい結果が残せたのではないだろうか。
 
このように、人間は基本まわりに流されやすい。もしかすると、きちんと選択したつもりがないまま、易きに流れてしまうこともある。
ちょっとした環境の差が、大きな結果の違いを生み出してしまうことがあるから、だからこそ最初にどういった環境を選択するかについてもっと意識的でないといけないなと、思った次第である。
 
ということで、Voicyを聞きながら、20年以上前のことを思い出した、という話でした。