日記は自分に対する議事録

去年(2020年)からこのブログの更新頻度も徐々に上げて、今年に入ってからは毎日更新を続けている。
また、去年の4月からは毎日日記を書くようにしている。
毎日ブログで1,000~2,000文字の間くらい、日記についてはだいたい1,000文字くらいで推移していて、5月は1日平均が1,500文字くらい書いている
おかげで書くことに対する抵抗感はだいぶなくなり、むしろ好きになってきている。
 
文章を書くことに抵抗がなくなったこともあり、日記ではその日あったことだけでなく、最近は自分がどう考えたのかを書き残している。
 
今月はたまたま、仕事の面で怒りの感情を覚えることが多いのだが、こういうときにどう考えたかを時系列に沿って書くようにしている。
以前であれば、怒りの感情を再び呼び戻してしまうので思い出すのも嫌だったし、また1つずつ思い出して書くのも億劫だったので、そのようなことはやらなかったのだが、いざやってみるとこれはなかなかいいと思うようなってきている。
 
こういった感情や思考を書き残すことの効用は2つある。
 
1つはとくに怒りの感情を覚えたときに、どの部分に怒っているのか、書いているうちに客観視でき、心の整理にもつながっているように感じるから。
怒りの感情を抱くときは、基本冷静な状態ではないが、それをきちんと整理して書くことができれば、実は怒りの感情を引き起こしているのは全体から見ると一部だけであることがわかることが多い。そうなると、そこまで怒るようなことではないことが確認でき、それ以降前向きに時間を過ごすことにつながっている。
 
もう1つは、備忘録というか議事録的な役割を果たしてくれるから。
怒りの感情だけではないが、そのときどう考えたかということは、思っている以上にすぐに忘れてしまう。しかし、書き記しておけば、なぜそう考えたのか、後から振り返って確認することができる。
なぜそう思ったのか、なぜそう考えたのか、その理屈や経緯をあとから確認したいと思うことはこれまでもよくあったのだが、書き記すことで感情や思考を残すことで、振り返ることができるようになった。
これは、何も怒りの感情をいだいたときだけでなく、普通に他の人と議論したときにも役立つ。議事録を書くほどのことでなくても、論点はどこか、意見の違いがある部分はどこかなどを整理してメモしておけば、その議論をもう1度繰り返さ得なくても済む。そういった役割においても、日記を活用できると感じ始めている。
 
1日1日はややもすると、どんどん過ぎ去っていき、そこで何をし、何を考えていたのかということもあわせて忘れてしまうことが多いが(とくに年齢を重ねるとその傾向が加速する…)、日記に行動や思考や感情のあとを残しておくことで、何か大事なものが積み重なっていくような感じがしている。
 
ということで、会議でも日々のことでも、議事録は残しておいたほうがいい、という話でした。