定年退職式で定年について考える

今日はうちの会社の定年退職式があった。
5月と11月の年に2回、60歳なって次の5月か11月の早いほうのタイミングで定年退職を迎えるというシステムになっている。
 
いつもなら、定年退職式の後に懇親会を実施しているのだが、今回はコロナで11月の回と合同でやることに。
去年も5月は中止にして11月にあわせて実施という形式をとった。
会自体は15分もあれば終わってしまうので、懇親会がないとなんとも締まらないのだが、このご時世なので仕方がない。
 
さて、うちの会社の定年は60歳だが、基本はそこで引退とはならない。そのまま契約社員としての残って働いてもらうケースが多い。
あくまでも契約社員なので、途中で契約を打ち切るということは可能なのだが、組合からも65歳までは雇用を確保してほしいという要望はあるし、実際そうなっている。
それ以降も、よほどのことがなければ、希望する限り70歳までは会社に残るができ、そういうケースが普通になりつつある。
 
ただそうなると、60歳定年というのは何なのだろうと思ってしまう。
もちろん、定年のタイミングで会社から離れるという人もいるので、そういうきっかけというか区切りとしては意味はあるとは思う。
しかし、そういうケースは少数になってきている。
そして、会社に残るにしろ、離れるにしろ、これからの人生100年時代において、60歳という年齢はまだ若いし、年金のことを考えると働き続ける必要のある人は多い。
 
だから、定年を延長しようという流れがあるし、実際国もその方向に導こうとしている。
ただ、中小企業の経営者としては、あと5年ないしは10年雇用が固定化するリスクはかなり大きいと感じているので、すぐに定年延長を受け入れるということには至っていない。
 
以前、このブログでも、定年は引退でなくFAである、ということを書いたが、それであれば定年を前倒しにするという議論もあっていいはずだ。
人生100年時代において、定年はFAと捉えるのであれば、60歳よりももっと早いタイミングで違うキャリアを模索することが望ましいと思う。
もちろん考えた末に、これまでの延長線上のキャリアを選択してもいい。どちらにしろFA的に、これからのキャリアを考えるきっかけを半ば強制的につくってはどうかと思うのだが、そういった議論は、少なくともマスメディアからは聞かれない。
おそらく誰も(国も、個人も)そんな議論は望んでいないのだろうから仕方ないが。
 
と、脈絡もなく思ったことを書いてみたいのだが、何が言いたいかというと60歳で行われる定年退職式には違和感があるということである。
定年という概念はいつからあるのかよくわからないが、とりあえずは昭和の時代には機能していたしくみが、令和の時代にもぽつんと残されているところに、違和感の正体があるような気がする。
 
そんな違和感を覚えつつも、定年延長も先延ばしにしつつ、こうやって年に2回の定年退職式を繰り返していくんだろうな、という話でした。