オリンピック開催可否に見る、意見と予測の区別

2021年5月も下旬に差し掛かり、東京オリンピックパラリンピックの開催はどうするか話題になることが多い。
 
世間でも開催の可否について、多くのニュースで取り上げられ、世論を二分して議論が繰り広げられている。やるべきという意見と、やるべきでないという意見でみるならば、後者のほうが多いのだろうか。
 
一方で、オリンピック・パラリンピックは開催されるかどうか、という予測や予想に関するニュースも多い。IOCの偉い人、組織委員会や担当大臣の発言などを取り上げて、やれ強行だ、中止だと賑わっている。
 
これら2つの議論は似て非なるものである。意見は自分がこうするべきだ考え述べることであり、予測や予想は自分の意見とは関係なく未来がこうなるだろうと考えることである。ここを区別して整理する必要がある。
 
今回のオリンピック・パラリンピックの開催については、意見と予測は理論上以下の4パターンになる。
・開催すべきと考え、開催されると思う
・開催すべきと考えるが、開催はされないと思う
・開催すべきでないと考えるが、開催されると思う
・開催すべきでないと考え、開催されないと思う
 
で、ここがきちんと整理されていればいいのだが、ごちゃごちゃになっている人が多いように感じる。
よくあるのが、予測の記事のコメント欄に意見を言う人。おそらく区別がついていないのだと思われる。
意見を言うのはいいのだが、それを言いたいのなら、せめて意見が書かれている記事にコメントをつければいいのにと思う。
 
さて、この意見と予測、普段の会話やビジネスの会議などでも混同されることが多い。
うちの会社の会議でも、私はちょっと先の予測について参加者に聞くことがある。
例えば「6月の売上はどのくらいになりそう?」と経営者である私が聞く。すると、聞かれた方は「予算までは行かないといけないと思っています」という回答をする。
こちらとしては、純粋に予測としてどのくらいの売上になりそうか聞いているのだが、回答する方は何を思ったか意見(というか願望)を答えるのである。
こういうときは決まって、願望ではなく、予測をおしえてほしいと聞き返す。
正直、この時間がもったいない。
 
これは事実と意見を分けて考えることができないのに似ている。
上司が部下に質問すると、事実を聞いているのに意見が混じってしまうということはよくあるが、それと同じである。
 
意見と予測、事実と意見、これらは区別して考えましょう、と社内で何度も言っているのだが、なかなか実践してもらえない。もしかすると、これらを区別して考えるのは、思っている以上に難しいことなのかもしれない。
 
ちなみにオリンピック開催に関する私の考えは、開催すべきかどうかの意見については「どちらでもいい」、予測については「考えないようにしている」である。
理論上4つのパターンと言っておいて、どれにも当てはまらない回答はずるいとは思うが、これが本音である。
開催するのであれば、無観客と早く決め、どれだけ感染が広がろうが肚をくくってやればいいと思うし、中止なら中止で仕方がない。ただどちらにしろ早く決めてしまったほうがいいとは思っている。
一方予測については、いろいろと情報を集めて分析すれば面白いのかもしれないが、そこにリソースを割く気になれないので、考えないようにしている。
 
ということで、意見と予測、どちらのことをいっているのか区別して考えるべき、という話でした。