日記を書けないほど忙しかったり疲弊しているときこそ、日記に行動や感情の記録を残すべきという矛盾

まだ残り1ヶ月半あるが、今年(2020年)を振り返ると、近年ない大変な1年だった。
 
皆に共通した大変なこととしては、新型コロナウイルスの感染拡大ということが挙げられるだろうが、私としても会社の業績に大きな影響があり、いろいろ厳しい判断をしないといけなくなってきている。
これもみんな共通だろうが、コロナの影響はいつまでどの程度続くかわからない、ということもストレスになっている。
先が読めない段階で意思決定をしなければならないということは、思ってた以上に負担が大きく、今年で終わる可能性は低く、来年以降も付き合っていかなければならない問題でもある。
 
コロナ以上に衝撃だったのが、うちの会社で起きた不祥事。
詳細は書けないが、ちょうどコロナの緊急事態宣言時の出来事で、この対応でかなり疲弊した。
後から振り返れば、2ヶ月近く対応していたのだが、当時はいつになったら終わりかわからず、心身ともに疲れが蓄積していた。
当時はコロナの影響もあり、身体を動かす機会が少なかったのもあるだろうが、首や肩周りの筋肉が硬直して、首を曲げることができなかったということもあった。
また、緊急事態宣言明けに行った、娘との二人キャンプでは、緑の光景に救われたような感情が込み上げてきたのを覚えている。
 
プライベートでは、9月には待望の第二子が生まれ、これ自体はうれしい出来事だったのだが、1月の妊娠判明から、妊娠初期の二度の入院とその対応、出産時の妻の入院と帰省など、いろいろと気を遣った1年だった。
コロナも重なり、娘の幼稚園が休みになることも多く、実家にお世話になったりもしたが、どのタイミングで実家に娘を預けるのか、着替えはどのくらいもたせるか、など1つひとつは大したことはないことなのだが、事前に計画してお願いするのに神経を使うことが多かった。
幼稚園が再開されてからは、朝の準備や着替え、持たせるものの整理、幼稚園のお迎えを私の両親にお願いしたりなど、けっこうてんやわんやだった。
 
また、出産後は、妻が入院したり、帰省したりで、一人になることも多く、会社の業績も相まって、いろいろと考えることが多く、あまり精神状態がよくない時期もあった。
一人の時間はほしいけど、必要以上に一人で考えすぎるのもよくないなと思ったりした。
今は、妻も戻ってきて、4人でも生活も軌道に乗ってきており、ありふれた毎日の幸せをかみしめているところである。
 
こんな感じで、なかなか伝わりにくいかもしれないが、私にとってなかなか大変な一年であったことは間違いない。
 
そんな毎日ではあったが、今年に入ってから、とくに4月からは毎日日記を書くということを続けており、行動や思考の記録を残しておくことは意味があると感じている。
とくに、上記のようなちょっと大変だったときこそ、どういった心持ちだったか、それを残しておくことは意義深い。
 
ただ、問題は、そういったときほど日記を書く気力が出ないということである。
裏を返せば、そういった日記を書けないほど疲弊しているようなときこそ、日記に行動や感情の記録を残しておいたほうがいいという矛盾を抱えているな、ということでもある。
ここを乗り越えないと、日記を書くということの習慣化も頓挫してしまう。
 
これにどう対処するかは、月並みだが、1週間に1度くらいは、時間を取って、書けなかった日の日記を書くということか。
上記で、4月から毎日日記を書いている、と書いたが、正確には書くのは毎日ではなく、数日遅れで書くこともしばしばあった。
1週間以内であれば、そのときの感情含めて覚えていることが多いし、量的にもどうにかリカバーできる。
 
そうやって、文字に落としてみることで、自分の精神状態の変化をウォッチできるし、大きく沈み込まないようある程度コントロールできたのではないかと感じている。
ちょっと大げさかもしれないが、日記を書くことで、近年ない大変な1年を乗り越えることができたのかもしれない。
 
ということで、自分の感情や精神の変化を把握するためにも、日記を書いてみてはどうでしょうか、という話でした。