緊急事態宣言に見る、データを取ろうとする姿勢の重要性

4月25日から、東京、大阪、京都、兵庫の4都府県を対象に、緊急事態宣言を発令されることが正式に発表された。
去年の4月、今年の1月に続き、3回目の緊急事態宣言。
 
宣言時の要請内容はざっくりまとめるとこんな感じか。
1回目では、まだウイルスの特徴や感染の傾向などがつかめなかったこともあり、全国すべての地域で、多くの商売・サービスにおいて休業が要請された。
それに対して、2回目の緊急事態宣言では、地域を限定し、かつ飲食店を中心を20時までの営業を要請するものだった。
そして、今回の3回目は、地域限定と飲食店の20時までの営業はそのままで、アルコールの提供禁止、大型商業施設の休業、大規模イベントの無観客開催が追加されたといったところか(地域によって差はあるが、ざっくりこんな感じ)。
 
ここで感染の原理原則に立ち戻って考えてみたい。
新型コロナウイルスは基本的に会話時の飛沫によって感染する(飛沫感染)。
飛沫が飛んで付着したウイルスを触ることによって感染する接触感染もなくもないが、発症者が近くにいない限りは、それほど神経質になる必要はないと言われている。
そう考えると、風邪の症状があるような発症者を入れないということを徹底した上で、短距離・長時間の会話をしなければ、そうそう感染するものではない。
 
最近あまり聞かれなくなった「3密」も、密閉・密集・密接の中では、密接(=近い距離での会話)が最も感染の原因になる。
満員電車がいい例で、密閉・密集してても、会話がなければ基本感染はしない。
要するに、感染が広がるには近距離・長時間・マスクなしの会話が必要条件で、そこに密閉・密集という条件が加わると、感染の拡大リスクがぐんと上げるわけである。
 
そして、この近距離・長時間・マスクなしの会話という必要条件を満たすのは、基本飲食のときだけである。
今日日、マスクをしない人はほとんどいないし、長く話しこむなんてことは、食事のときくらいしかないのである。
 
ここまで整理した上で、2回目と3度目の緊急事態宣言における要請内容に戻ってみる。
 
2回目:飲食店での20時までの営業制限
3回目:飲食店での20時までの営業制限+アルコール提供の禁止+大型商業施設の休業+大規模イベントの無観客実施
 
要請内容として、賛否あるだろうが、飲食店でのアルコールの提供禁止は、理論的には理解できる。
アルコールの摂取は会話を促進させる効果があるのは明らかで、そこを制限することで感染拡大を防止しようという試みは理解できる。
しかし、大規模商業施設の休業や大規模イベントの無観客実施は、理解に苦しむ。
デパートでの買い物で近距離・長時間・マスクなしの会話はほとんどないし、映画では皆無と言っていいだろう。野球やサッカーの観戦においても会話はゼロではないが、屋外ないしは換気の良い施設であり、大きな問題にはならないはずである。
 
そして、それ以上に問題なのは、データが取れないということ。
1回目の緊急事態宣言では、感染抑止という観点ではある程度の成果が出たが、経済的なダメージが大きかったという評価だった。
それを受けて、2回目の緊急事態宣言では、感染抑止の効果が限定的だったという評価であった。
そこで、3回目は要請内容を強化しようと、2回目の内容に加えて、飲食店のアルコール提供の禁止、大型商業施設の休業、大規模イベントの無観客実施を入れたというわけである。
 
しかし、この3回目の内容では、仮に感染抑止に成功したときに、飲食店のアルコール提供の禁止、大型商業施設の休業、大規模イベントの無観客実施のどれが効いたのかがわからない。
 
そういったデータが取れなければ、今後緊急事態宣言が出たときには、今回の3回目と同じような対策がなされることになる。
私は、アルコール禁止は効果があると思うが、大型商業施設の休業や大規模イベントの無観客実施はあまり効果がないと考えている。
仮にこの考えが正しいとしても、その実証ができずデータが取れていないままであれば、今回と同じ対策が今後も実施されてしまうのである。
 
今後もこの新型コロナウイルスの感染が終息するまで、何度か緊急事態宣言が出されることになると予想するが、その都度やらなくてもいい対策まで実施されることになるのである。
 
よって、今回は2度目との差分を意識して、とくに効果が高いと思われるもの(飲食店のアルコール提供の禁止)だけを追加すべきであると考える。
もし、これで効果が得られるようであれば、次回緊急事態宣言を出すときにはここまでの要請をすればいいし、これでも効果が薄いとなれば、追加で大型商業施設の休業や大規模イベントの無観客実施を要請すればいい。
 
うまくいくかどうかも大事ではあるが、それ以上に仮説を立ててそれを実証するという姿勢、データを取ろうとする姿勢も大事であると考えるのだが、どうだろうか。
 
ということで、コロナが長期化しても対応できるよう、いろいろと実験すべきでないか、という話でした。