緊急事態宣言に見る、「ずるい」と思ってしまう思考回路

前回の記事で、緊急事態宣言において、あれもこれも対策を追加するのではなく、とくに効果があると思われるものに限定して追加すべきであると書いた。
感染を抑え込むことも大事だが、それ以上に何が効果があるのか、データを取ることが大事であると考えるからだ。
 
と、自分で書いておいてなんだが、これは机上の空論というか、実施する上ではなかなか難しいのかなとも思った。
 
どういうことか。
 
この1年、飲食業界には猛烈な逆風が吹いている。度重なる休業や時短営業の要請で、かなり疲弊している。
そのような中、今回の3回目の緊急事態宣言では、これまでの20時までの時短営業では効果が薄いことから、アルコールの提供禁止が加わることとなった。
飲食店の経営者からみると、なぜこの業界だけ我慢しないといけないのか、となるのは当然であろう。
これまでも1年間大変な思いをしてきた。加えてアルコールの提供禁止となると、居酒屋やラウンジ・クラブといった業態では、実質休業しなければならない。
 
そんな状況でまわりを見渡してみると、百貨店や映画は通常営業しているし、野球やサッカーのようなイベントも観客入れてやっている。なぜ飲食業界だけ、と思うはずである。
実態を細かくみれば、前の記事でも書いたように、これらの業態と飲食店では、感染リスクは大きく異なる。
しかし、そこまで正確に理解している人は少なく、密閉・密集しているのに何も対策しないのはいかがなものかとなる。
簡単に言えば、「なぜうちだけ、他はずるい」という思考になっているのだと思う。
 
おそらく行政も、大型商業施設の休業や大規模イベントの無観客実施は、感染抑止にあまり効果がないことは理解しているはずである(そう思いたい)。
しかし、飲食店への制限を強化する上で、飲食店だけを狙い撃ちにしているわけではないということをアピールしたいがために、効果が薄いとわかっていながら、その他の商業施設などにも制限を加えているだと推察する。
 
他国のことはよくわからないが、少なくとも日本では、みんなで悪くなることを好む傾向があるように思う。
全体を見れば、誰か助かるのであれば助けたほうがいいのに、一部だけ助かるのはずるいと思ってしまうのである。
そういった感情を利用しているのが、今回の意思決定の本質なのではなかろうか。
 
これは裏を返せば、仮説・検証のサイクルをまわしてデータを取るという科学的なアプローチより、(とくに飲食業界の人たちの)感情を優先したというわけである。
このあたりが、日本という国の弱さであり、良さなのかもしれないが、ことこの緊急時においては弱点でしかない。
 
ということで、いつになれば日本は科学的な知見に基づいて意思決定がなされるのだろうと思った、という話でした。