足りないリスクと余るリスク

先日の出張帰り。
すでに夕方だったし、腹も減ってきたということで、何か買って乗車しようと考えた結果、新大阪駅の551で、焼売か餃子を買って行こうと思った。
ただ、焼売が6個入りと10個入り、餃子が10個入りと15個入り、どちらも量が微妙。
どれも、帯に短し襷に長しという感じで、数分間悩んだのだが、足りないと途中で買い足すわけにもいかないので、結局焼売の6個入りと餃子の10個入り、それにビール500mlを買って乗車することにした。
 
臭い気になるかなとちょっと心配しながら、ビールと餃子と焼売を美味しくいただく。
餃子10個と焼売6個は多いんだろうなと思いながら買ったのだが、やはり結果としては焼売3個を残してしまった。
無理したら食べることはできなくもないのだが、日々ダイエットしている身からすると、無理して食べて体重が増えてしまっては元も子もないと思い、もったいないと思いながらも残すことにした。
 
私は昭和後期生まれで、子どものころから食糧不足といったことを感じたことはないし、実際食べるということで困った経験はしたことない(給食が食べられずに苦労はしたということはあったが)が、戦後生まれの母親の影響を受けて、食べ物を粗末にしてはいけないという意識は植え付けられて育った。
ごはん粒を残すことはないし、自分が頼んだものを残すことは基本しないようにしている。他の人が、残しているのを見るともったいないと思ってしまう。
 
そんな感じなので、食べるということに関しては、足りないリスクと余るリスクがあったとすると、余るリスクのほうを重視して、少なめに発注する傾向がある。
居酒屋で食事を頼むときも、できるだけ小分けに発注したいと思う。最初に多めに発注して残るのが嫌なのである。
キャンプに行くときなど、追加で食料の調達ができないようなときは、足りないときのリスクが大きいのでちょっと迷うが、こういうときは、余っても持って帰って食べることができるもので調整し、できるだけ残らないようにしている。
 
話は戻って今回の出張帰りの件。焼売を残して捨ててしまったことで数日だった今もモヤモヤしている。
足りないとき追加購入できないことを考えれば、餃子と焼売を両方買ったことも、結果として食べきれないので残したことも、客観的に見れば非常に合理的な意思決定だったと思うのだが、それでもモヤモヤが残るのである。
余ってしまうリスクに対する感度が高いということに、改めて気づかされた出来事であった。
 
ということで、「三つ子の魂百まで」ではないが、子どもころからの教育は思いの外意識に刷り込まれるのだなと実感した、という話でした。