娘と最後に風呂に入る日

家にいる日はだいたい、娘(5歳)と息子(6ヶ月)を風呂に入れるのだが、正直めんどくさいと思うこともある。
 
3人でいっしょに入って、まずは息子の身体を洗い、息子は先に出して外にいる妻に任せる。そこから娘と自分の髪と身体を洗って出るというのが一連の流れになっている。
息子はまだ乳児ということで気をつかうし、娘は娘で言うことを聞かないので疲れる。
 
浴室に入れるのに一苦労、入ったら入ったで髪洗うと言ったら駄々こねて嫌がるし、さらにはさっきまで入りたくないと言ってたのが今度は出たくない、である。
風呂から上がっても、なかなかパジャマを着ないし、髪を乾かそうと呼びかけてもテレビを見てこっちに来やしない。
 
毎度こんな感じなので、一人でゆっくり入りたいなと思うこともあるが、こればっかり贅沢言っても仕方ない。
朝風呂は一人で入ることが多いのだが、ゆっくりできる幸せに浸りながら、風呂に浸かっている。
 
今朝もそんなことを考えながら一人で朝風呂に入っていたのだが、ふと娘と最後に風呂に入るのはいつなんだろう、と思った。
今は何の疑問もなくいっしょに入ってくれるが、おそらく小学校の高学年になったらいっしょには入ってくれないだろう。
だいたい10歳くらいまでだろうか。
いつの間にかいっしょには入らないとなって、気づけばいつが最後だったかわからないということになるんだろうなと思った。
 
そこからさらに想像(妄想)が膨らんで、今日でいっしょに入るのは最後にしよう、ということになったらと考えた。
もしそういうシチュエーションになったら、昔のことを思い出しながら大きくなったなあ、なんて思いながら、泣くのをこらえている自分の姿を想像してしまった。
そして、そんなことを考えていたら、現在の私も泣きそうになってしまった。
 
朝風呂に入りながら、娘との最後の風呂の日で泣いている自分を想像しながら泣きそうになる、という何とも滑稽な感じではあるが、ふとそんなことを考えてしまったのである。
 
そして、そんなことを考えていると、いっしょに入ってくれることがありがたいことに感じてくるから不思議である。
これからもおそらく、今日はいっしょに入るのはめんどくさいなと思うような日もあるだろうが、最後にいっしょに入る日を想像して、ありがたいことだと再認識したいと思った次第である。
 
残された日は、まだ5年もあると考えるか、もう5年しかないと考えるか。どちらにしろ大切したいな、と思ったという話でした。