デジタルデドックスとしての風呂の効用

私たちのまわりは、デジタル情報で溢れかえっている。
10年前くらいまでは、デジタル情報と言えばせいぜいテレビとパソコンくらいで(テレビを含めるかどうかはいったん置いておいて)、それに触れる時間以外はデジタルな情報は入ってこなかった。
それがスマホから普及してからというもの、われわれの生活の細かい時間にまでデジタルな情報が浸透してきているという感覚がある。
 
電車に乗っているときはもちろん、ごはんを食べているときや、トイレに入っているときも、隙間を埋めようと、スマホを見ている。
また、歩いての移動するときや走っているとき、そして車を運転しているときも、耳が空いているということで、音声メディアからの情報を受け取っている。
 
とくに日ごろからパソコンを使うような人からすると、寝ているとき以外はずっとデジタル情報に触れているような感じではないだろうか。
 
そんな状況の中、私は毎日朝風呂に入っているのだが、この時間だけはデジタル情報から離れることができているような実感がある。
朝起きて、ランニングに出る日は、ワイヤレスイヤホンを耳にセットして、音声メディアの情報を受けながら走っているし、走らない日も、朝起きるとすぐにTwitterのタイムラインを確認している。
朝からこんな感じで、スマホとともにスタートするという感じであるが、風呂に入るときだけはスマホから離れることができる。
 
最初はぼーっと湯船に浸かるのだが、だんだん頭が回りだし、今抱えている課題について考え出す。
そうこうしているうちに、その課題の道筋が見えたりすることもあるし、このブログで書こうと思えるネタを思いついたりする。
 
人間の頭は放っておくと勝手に考え出すと言われるが、最近はスマホを中心にインプットされる情報が多すぎて、自分の頭で考える時間が減っているように実感している。
もしくは、自分の頭で考えているようで、実は他人の意見を自分の意見だと思いこんで、考えた気になっている可能性も高い。
 
それが、風呂に入るという時間を組み込むことで、短時間ではあるが、自分の頭で考える時間を確保できているように感じている。
 
同様のこととして挙げられるのが、歩いているとき。
普段は、徒歩での移動中はワイヤレスイヤホンをつけて、耳から音声メディアの情報や書籍を聞いたりしているが、たまにワイヤレスイヤホンを忘れてしまうときがある。
以前であれば、しまったと思っていたのだが、最近はおかげでゆっくり考える時間ができたなと思うようになってきた。
歩いているときにはスマホの画面を見ながら情報を入れることはできないので、スマホから離れることができる。
 
と、こんな感じで、結果的にではあるが、スマホ(とそこからの情報)から離れる時間をつくることができている。
デジタルデトックスと言うと大げさではあるが、放っておくとどんどん隙間時間を侵食されてしまうので、もっと意識してスマホから離れる時間をつくって、その時間で自分の考えを整理する必要があると感じる今日このごろである。
他にも、そういった時間を確保できないか、考えてみたい。
 
ということで、もっと意図的にスマホから離れる時間をつくるべし、という話でした。