熱中症対策に見る言霊信仰

4月に入り、昼間はだいぶ暖かくなってきた。
最高気温は20℃を超す日も出てきており、春本番である。
 
そんな春を満喫したいところだが、春の気持ちのいい時期はわずかで、すぐに暑い夏がやってくる。
25℃を超えると夏日と言われるが、5月もGWのころからは夏日が多くなってくるだろう。
さらには6月には真夏日(30℃超え)も出てきて、7月以降は猛暑日(35℃超え)連発、というのがここ数年の傾向である。
 
そうなると心配なのが熱中症
うちの会社では工場を運営しているので、熱中症対策は欠かせない。
とくに暑くなり始めが危なくて、暑さになれていないため、熱中症になる人が多く、要注意である。
例年6月くらいから熱中症対策の準備に入っていたが、ここ数年は5月には準備しないといけないとなり、今年は4月のはじめからもう準備に入ろうという空気感になりつつある。
年々熱中症対策のスタートが早くなってきている。
 
熱中症対策といっても2つの準備があって、1つは熱中症対策のための道具の確保。暑い日が続く時期になってから準備をしても売り切れということがここ数年多くなっているため、シーズン前にきちんと揃えておく必要がある。
もう1つは心の準備である。上述のとおり、暑くなり始めが危ないので、そろそろ熱中症の季節に入りそうだ、と啓蒙活動が必要になってくる。
 
さて、毎年熱中症の時期になるといつも思うのだが、言霊信仰というか、熱中症は起きてはならないものである、という意識が強すぎて、仮に起こった場合にどうするのかについては議論があまりなされない傾向にあると危惧している。
 
最近井沢元彦氏の著書をよく読むのだが、その中で氏は、日本は言霊信仰の国である、とよく言及している。
よくない未来のことを口に出して言ってしまうと、それがあたかも実現するのではないか、ということを忌み嫌って、そういったことを言うことを避ける傾向にあるというのである。
例えば、結婚式のスピーチなどで「わかれる」とか「きれる」といった言葉を使ってはいけないというのが典型であろう。
 
そんな言霊信仰の強い国ということもあってか、熱中症になってはいけないし、仮になった場合のことを想定するのも憚られるという空気を感じる。
熱中症というものは完全にゼロにするのは難しいし、もし起こったとしてもその後の処置が適切であれば大事に至らないということもあるので、きちんと起こった場合の対応の準備をしておかなければならないのだが、「完全にゼロにするのは難しい」なんてことを言おうものなら、対策をきちんとする気があるのか、と思われてしまうのである。
と、こんな感じで、起こることを想定してはいけない、またそれを言ってはいけないという空気が、日本という国では多いような気がする(海外のことはよくわからないが)。
 
しかしながら、想定はしておいて損はない。起こったときにどういう対応をするのかわかっていたほうがいいに決まっている。
想定して準備をしておくことで、助かる命もあるだろう。
 
ということで、例年私は、こうした言霊信仰に囚われすぎずに、さまざまな想定をして、準備するように指示することを心がけている。
熱中症にならないようにする対策は大事だが、それと同じくらい、いやそれ以上に、なってしまったときの対応をどうするか、きちんと頭に入れておくことが重要だと。
プランBを想定しておくことは、非常に大事なことであるので、今年も熱中症になった場合の対応ができるよう準備を進めていきたい。
 
ということで、今年も暑い夏になるのかなと思うとちょっと憂鬱だ、という話でした。