子どもはいつだって今が一番かわいくない

上の娘(5歳)は来年から小学校に上がるというのに、わがまま盛り・甘えん坊盛りである。
ちょっと歩いたら抱っこしろ、おんぶしろと言ってくるし、すぐにこれがほしいあれがほしいとなる。
そうかと思えば口答えもするし、生意気盛りでもある。
私が言うことを聞かないのは当たり前だし、反抗してくることも多い。
それなのに、まだまだ自分のことはできず、はみがきは仕上げをやってあげないといけないし、ごはんも最後まできれいに食べさせないといけない。
 
そんな娘も、写真を見れば、昔(といってもまだ5年とちょっとだが)はかわいかったし、口答えもしなかった。いや、今もかわいいのだけど、それ以上に憎たらしいのである。
未来に目を向けると、もう少しすれば、自分のことは自分でできるようになり、親の手もかからなくなるのだろうなと夢想するのだが、それもまだ少し先のことである。
 
下の息子(もうすぐ10ヶ月)も、こちらはこちらで夜泣きがまだまだ続いて大変。
先日、妻の体調が悪く、私が息子といっしょに寝たのだが、2時間置きに起きて、その都度あやして寝かせるのは、それなりに大変だった。
上の娘のときに比べると寝つきはいいので楽ではあるが、それでもちょいちょい起こされるとちょっと気が滅入る。
 
もう少しすれば、朝まで寝てくれるようになって、楽になるのだろうが、これまた少し先のことである。
 
 
なんてことを考えていたら、ある事実に気づいてしまった。
そういえば、1年前も2年前も同じようなことを思っていたということに。
 
子どもは徐々に言葉を覚えて口答えもするようになり、だんだん生意気になってくる。
一方で小さいころは何から何まで面倒を見なければならず、基本成長するとともに少しずつ親の負担は減っていく。
そんな中、「今」はいつだって、大変な部分に意識がいくので、小さいころは面倒を見ないといけないことに、大きくなるにつれ生意気なところに目が行ってしまうのである。
 
そう、子どもはいつだって今が一番かわいくない、のである。
かわいくないというと語弊があるかもしれないが、それであれば、子育てはいつだって今が一番大変なのだ、と言い換えてもいい。
 
だけど、1年前の自分が今の自分を見れば、娘はできることが増えて、私が面倒見ないといけないことは減っており、うらやましいと思っているだろう。
逆に、1年後の自分が今の自分を見れば、まだ娘の生意気加減がそれほどでもなく、これまたうらやましいと思うのであろう。
 
いつだって今が一番大変だと思ってしまうのだが、過去や未来から見ればうらやましいことなのである。
そのことに気づくことができたので、日々娘や息子と接して、何か憤るようなことがあれば、このことを思い出すようにしたいと思った次第である。
 
ということで、過去は美化され、未来は期待値が高くなる、という話でした。