確率論は理解できないから、みんな極端な意見に振れてしまう

コロナの影響が出だして1年。
この1年思ったのは、みんな意見が極端なほうに振れてしまうということ。
ちょうどいい塩梅で考えることができる人は、思った以上に少ない。
 
地方にいるとやはり「コロナはこわい」という意見が大勢。
タイミングや地域によって感染リスクは変わるし、どういう行動を取るかによっても感染の確率は変わるのだが、「こわい」と思っている人には、そんな確率論を説明しても、聞いてもらえない。
例えば、感染が拡大しているときに東京に行くとなったとき、たしかに感染者が多い地域ではあるが、行った先でどういった行動をとるかどうかで、感染確率が決まる。
リスクの高い行動をとらなければ、感染確率はもちろん0ではないが、かなり低いレベルに抑えることができるのだが、そういうことを説明しても理解してもらえない。
きちんと理解してもらおうとも心がけたが、みんなが理解するということには限界があるということもわかった1年だった。
一定数理解できない人がいるということもわかったので、昨年末に1週間展示会出展で出張に出た際は、帰ってから1週間ほど隔離のためのホテル暮らしをすることにした。
 
一方で、「コロナはただの風邪」と逆の極論を言う人も一定数いる。
緊急事態宣言中にも関わらず、20時以降に開けている店に行った、という話を私のまわりでも聞く。
上述のとおり、タイミングや地域によって感染リスクは変わるのだが、感染が広がっている地域においても、比較的年齢の低い層は、感染しても大したことにはならないとリスクのある行動をとってしまう。
ニュースに出ている感染事例は氷山の一角で、感染した人と同様の行動をとっている人でも感染していない人は、感染した人の100倍、1000倍といるはずである。
一人ひとりの個人の側から見ればそれほど感染確率は高くないように見えても、全体から見れば確実に感染が広がる行為であるので、やはりリスクの高い行動は自重すべきである。
 
コロナの感染問題は、どこまでいっても確率論で、地域や時期、そしてどういう行動をとるかで感染確率は変わる。
そして、感染確率が1%と0.1%と0.01%では、当然リスクは異なる。
ただ、ここまで小さくなってくると、多くの人は感覚的にはその差を認識できない。
感染確率が1%のときはちょっとリスクが高いので自粛、0.01%くらいなら行動する、なんて判断をする人はほとんどいないだろう。
極端な意見に振れてしまう人は、都度都度判断するのはめんどくさいか、もしくはできないのである。イチイチ判断しなくてもいいために、極端な意見を選んで、それをもとに行動しようとしているのだと思う。
 
それほど確率論について理解するのは難しいのだろうし、とくにごくごく小さな確率を把握するのは多くの人にとって困難なのだと思う。
本当は正確な感染確率のイメージをもって、これは比較的リスクの高い行動だから避けようとか、これは万が一にも感染することはないと判断できるとか、今時点の地域ごとの感染状況と行動自体のリスクを鑑みてどう行動すべきか判断すべきかと思うが、それを多くの人に求めるのは現実的ではないと思い始めている。
 
ということで、数学教育において確率論のウェートをもっと高めるべきではないか、という話でした。