継続してきたことが継続することのモチベーションになる、のだが

今日から3月ということで、2021年は早くも2ヶ月が終わった。
この2ヶ月を振り返ってみると、仕事、プライベートとも、まあまあ順調な滑り出しだったのではないだろうか。
 
このブログも、今年は毎日更新を継続できていて、年末からの分も含めると、昨日の記事で66日連続で更新できている。
ここまでくると、途中で毎日更新が途切れるのがもったいないという意識が働き、そのおかげで継続ができている。
どこまで続くかはわからないが、当面できるところまでは継続していきたいと思っている。
 
で、実際2ヶ月以上継続してみて、面白いなと思ったのは、継続してきたことがさらに継続することのモチベーションになるということ。
途切れるのがもったいないという感情が、今日も続ける原動力になっている。
継続も1ヶ月過ぎたあたりから、そんな感情が芽生えだしてきた。
 
この、継続してきたことがさらなる継続のモチベーションになるということは、それ自体が悪いことではないし、むしろいいことだと思うのだが、一方で何かの拍子に継続がストップしてしまったときに、次の継続への動機が薄れてしまうおそれもある。
これまでは、昨日まで継続してきたんだから今日も続けなければと思っていたのが、途切れてしまうと、昨日やらなかったんだから今日もやらなくていいか、になってしまいかねない。
だとすると、継続する動機を、継続してきたことに頼るのは危なっかしい。
 
本来であれば、書くの楽しいから続けるという状態になれればいいのだが、残念ながらそこまでの境地には達していない。
書くことそれ自体は、すでに苦にはならなくなってきている。
しかし、まわりの人から見ると大変そうだけど、やってる本人から見ると楽しいからやっている、そんな「努力の娯楽化」(by楠木建先生)状態になるには、まだ継続が足りていないようである。
 
となると、内発的ではない、外側から客観的に測れる指標に頼るのも1つかもしれない。このブログで言えばアクセス数のような指標を追っかけるのである。
これまでは良くも悪くも自分がやりたいからやるんだという意識が強かったのだが、どうしたらもっと多くの人に読まれるか、それを考えることが継続の原動力になるかもしれない。
 
これまでの継続が次の継続につながる式の原動力だけに頼らないためにも、内発的な動機によって継続できる境地に達するためにも、外的な計測可能な指標を追っかけてみるのも一つの手かもしれないと、思った次第である。
 
ということで、今後はもっと読まれるための工夫もしていこうと思った、という話でした。