家庭における「離脱」「発言」「忠誠」

5年前に娘が産まれてから、うちの夫婦のパワーバランスは一気に変わった。
それまでは私と妻の関係は対等というか、むしろ私のほうが意見を通すことが多かったが、出産後は完全に逆転した。
出産当日からその変化を感じ、子どもを産むというのはこういうことかと思ったのを覚えている。
母親は子どもを守らなければならないというスイッチが入るのに対して、とくに大きな変化がない父親とは、意識が異なってくる。
正直なところ、こちらは何も変わっていないのに、なんでそんなに文句を言ってくるんだと思ったものだが、そういうものなのだから仕方がないのだろう。
 
当時のわが家を会社に例えると、妻が社長、娘が会長、私が平社員という関係性で、平社員の私は、会長のご機嫌を取りながら、社長の言うことを一方的に聞くという毎日であった。
ただ、すべからく、社長である妻の言うことを聞けばいいかというと、やはりそういうことでもなく、10回に1回(もっと少ないかも)くらいは反論していた。ピシッと言わないといけないときは言っていた(つもりだ)。
 
アルバート・ハーシュマンという経済学者が書いた書籍に「Exit, Voice, and Loyalty」(離脱、発言、忠誠)というものがある。
この書籍では、組織に対する従業員や顧客の向き合い方には3つの考え方がある、と説かれている。
・離脱(Exit):自分にとって意味があれば、その組織にとどまるが、嫌になればやめてしまえばいいという考え方。
・発言(Voice):不満があるのであれば、組織に対してきちんと発言することによって、組織をいい方向へと持っていこうとする考え方。
・忠誠(Loyalty):組織に忠誠心を持ち、自分と組織を同一化させようとする考え方。
 
このフレームワークを用いて考えると、私の家庭というか妻に対する基本姿勢は「忠誠」である。
おそらく、多くの家庭の夫(父親)も同じであろう。
 
結婚して子どもができてから、私は一生家族の面倒は自分が見ると決めている。
これは今後も一貫して変わらない。
そして、日々の生活においては、細かいところでイチイチ揉めても仕方ないので、基本忠誠の構えでいる。
社長である妻と、会長である娘が機嫌が良くやってくれれば、それでいい。
そのためであれば、多少の労力は惜しまないし、多少の理不尽は我慢するつもりである。
 
しかし、その理不尽が度を超えたと判断したときや、それが続くようであれば、「発言」をするようにしている。
長期的に見れば、きちんと意見表明をしたり、深く話をしておいたほうがいいからである。
 
ただ、こうした「発言」は瞬発力が大事なことも多く、私は慎重に考えてしまうタイプなので、タイミングを逃してしまうこともよくある。
また、「発言」するには労力もかかるし、ストレスもかかる。
これは言ってやろう!と思っても、めんどくさいとなって、おさめてしまうことも多いし、トーンが下がってしまうことも多い。
きちんと言わなければならないことは、伝えていく努力を惜しまないようにしていきたい。
 
こんな感じで、私の家庭(妻)に対するスタンスは、基本「忠誠」、ときに「発言」であるが、一方で「離脱」の心づもりだけはしている。
上述のとおり、一生家族の面倒を見ると決めているので、「離脱」するつもりはない。
しかし、発言をする際にも、いざとなったら離脱のカードを切ってやるという心がまえがあるかなしでは、発言の重みが変わってくる。
娘が生まれてから2~3年くらいは、妻の機嫌が乱高下して理不尽なことを言われることも多く、腹に据えることも多かったので、綿密にシミュレーションして、いざとなったら一人で娘を育ててやるくらいの(心の)準備をしていた。
もちろん、その「離脱」カードを切ったことはないが、心がまえだけでもしておくだけで、私の心の安定にはつながっていたのかなとは思う。
最近は妻の機嫌も安定しているので、このシミュレーションをする機会も少なくなったが、今後も気がまえだけは持っておこうと思っている。
 
昨年、下の子が生まれて、パワーバランスも微妙に変わってきているが、妻が社長で私が平社員という関係性は基本変わっていない。
今後も「忠誠」を基本に、ときに「発言」しながら、そして「離脱」の気がまえだけは持ちながら、家族との生活を送っていきたいと思う。
 
ということで、会社も家庭も似たようなところがあるな、という話でした。