年賀状という惰性

毎年、多くの年賀状が会社に来る。
会社宛のものもあれば、代表である私宛のものもあるのだが、一応見ておいてという感じで、毎年私の机に年賀状の束がやってくる。
そして、一応確認してみるのだが、ほんと面白くない。というか、見ているうちにだんだん腹が立ってくる。
知っている会社もあれば、知らない会社もあるが、どれもただ社名と社長の名前が書いてあるだけなのである。
中には律儀に工場や事業所ごとに同じ年賀状をくれる会社もあるのだが、それにどれだけの意味があるのかわからない。
それでも、今回来た年賀状は、一応確認してみたが、事前の予想通りその必要はなかった。年に1回しかないので、はっきり覚えていないが、たぶん毎年思っているのだろう。
 
そんな年賀状の束をめくっていると、どこの会社も惰性で年賀状を出しているんだなと思う。
来ていない会社あっても、この会社から来ていない、なんて思ったりしないのに。
少なくとも、そんなことをチェックしている経営者はいないはずだ。
 
まだ個人でやりとりする年賀状はわかる。
私は去年から止めてしまったが、それでも少なからず意味があるということは、理解できる。
とくに最近交流のない人の近況が(わずかではあるが)わかるという点で、意義は感じる。
しかし、ビジネスの年賀状は、ほんとに意味がない。
 
経営者からすると自分で出さないので、ちょっとくらい手間がかかっても誰かがやっているからいいや、となってしまうのだろう。
しかし、そこみはそれなりのコストはかかっている。
ハガキの費用は大したことなくても、そこに使う時間を考えると、そこそこの費用になるだろう。
うちの会社でもご多分に漏れず、総務で取りまとめて出しているが、どのくらいの時間がかかっているのか、今度確認してみようと思う。
 
うちみたいな中小企業でさえ、それなりの数の年賀状が来ている(そして出してる)ということは、日本全国で壮大なムダな紙のやり取りが行われていることになる。
郵便局が儲かるだけで、年度末の工事以上に必要のない慣例である。
DXを推進する前に、ビジネスの年賀状を全部やめればいいのにと思う。
 
そんな感じで、いろいろと書いているうちに怒りさえ覚えてきたので、来年は会社の年賀状も出すのをやめようと思う。やめようと思うのだが、年に1回しかない作業なので、こんな感じで年初に思ったことは忘れてしまい、また惰性で来年も年賀状を出してしまうだろうとも思う。
 
ということで、喉元過ぎれば熱さを忘れる、という話でした。