新型コロナは、ピラミッド型組織で対応すべきか、自律型組織で対応すべきか

私が大学時代にもっとも面白かったという授業が2年生の後期に受けた「組織行動論」というもので、その講師は高橋俊介先生が務めていた。
高橋先生は東京大学卒業後、国鉄に入社、マッキンゼーやワトソンワイアットなどのコンサルタント経て、大学で教鞭を取るなど幅広く活躍されているのだが、この授業は組織や人事のあり方がどうビジネスに影響を与えるのか、自らの経験と論理化された話が面白かったのを覚えている。
その流れで私はゼミも組織・人事系のものを選び、前職では外資系IT企業の人事で仕事をするなど、私のキャリアにかなり影響を受けた先生であった。
 
大学卒業後、そして前職を辞めて地元に戻ってきてからも、高橋先生のセミナーや講義には、機会を見つけては参加するようにしてきた。
毎度何らかの発見があり、いつもワクワクしながら講義を受けている。
 
そんな高橋先生のセミナーに昨年も機会があり参加してきた。
そこでは、自律組織や自律組織をどう実現するか、というテーマで話をされていた。
昨今、ピラミッド型組織から自律組織への移行ということが叫ばれているが、組織のあり方はビジネスの形態によって決まり、自律組織であれピラミッド型組織であれ、意思決定者には「権限」と「(判断)能力」と「情報」の一体化が大事と説いていた。
 
ピラミッド組織と自律組織と聞くと、自律組織のほうが良さそうに聞こえるが、いつでもどこでも自律組織のほうがいいというわけではない。
ピラミッド型組織であれば、一部の意思決定者がこの3つ(権限・能力・情報)を持っていればいいのだが、自律組織であれば、第一線で働く人がそれぞれがこの3つを一体的を持っておく必要があり、それを実現するには大きなコストがかかる。
また、ビジネスの特性上、なんでもかんでも自律組織にすればいいというものでもない。
 
例として出していたのが、鉄道と航空。
鉄道の運転に「自律」はいらない。有事の際でも、前線の運転手が勝手に運転していてはさらなる混乱につながるので、中央で制御する必要がある。
これらの中央の人が判断できるような情報は前線の現場から遅滞なく集められ、判断できる能力をもった一部の人が権限をもって意思決定するというやり方が適しているのである。
一方で、飛行機のパイロットは、有事の際にいちいち中央の管制塔に確認していては務まらないので、パイロットに大きな権限をもたせて、またその場で判断できる能力を訓練している、ということであった。
同じ輸送ビジネスでも、組織形態や各自の権限のもたせ方は違うというわけである。
 
さて、前置きが長くなったが、ここからが本題。
現在のコロナ禍において、日本という国全体を組織とみなしたとき、コロナへの対応は、ピラミッド型で対応するのがいいか、自律型で対応するほうがいいか、というのが今回のテーマである。
ピラミッド型で対応するということは、基本政府や自治体が決めた方針のもと国民が行動する、という考え方。
自律型で対応するということは、国民一人ひとりが考えて行動する、という考え方。
 
どちらのほうがいいのか、この両者の違いは、意思決定者が政府や自治体のエラい人なのか、国民一人ひとりなのか、ということ。
どちらにしても、意思決定する人には、「権限」と「能力」と「情報」を一体して持っておく必要がある。
ここでいう「情報」は各地での感染状況などが挙げられるだろう。
また「能力」とは、さまざまなジャッジをするために必要な知識などで、感染のしくみやウイルスの特徴などのミクロ的な知識から、どういう対策をすれば感染者が増えたり減ったりするのかといったマクロ的な知識など多くのものが含まれる。
 
で、問題は「権限」を集中させたほうがいいのか、分散させたほうがいいのか、ということになるのだが、私の見解としては「集中」させたほうがいいと思っている(ピラミッド型で対応すべきということ)。
その理由は、「情報」自体は、政府や自治体などの人たちがもっているものと、国民がもっているもので、それほど大きな差がないと思っているが、「能力」においては国民一人ひとりのバラつきが大きすぎると考えているからである。
また、コロナのようなネットワーク効果が働くようなものは、99人が規律ある行動をとっていても、1人が勝手なことをすると、全体がダメになってしまうような可能性がある。
よって、一人ひとりに判断させると必ず意見が分かれて、全体してはいい方向に向かわないと考えるからである。
 
ちょっと前、「お盆の時期に帰省してもいいのか?」という疑問に対して、「自分で考えて行動すべき」「学校じゃないんだから自分で決めろ」といったような意見が出ていたが、これはわからなくもないが、ある程度全体で統制しないと感染症の抑え込みというのはできないので、中央からの方針が必要なのではないかと思う。
また、Go Toの対応についても、「利用するかしないかはあくまでも個人が決めればいい」という意見があるが、国民の多くは自分の頭で考えることはできないのだから、政策を継続するということは国からのお墨付きが出たと考えて行動する人も多いと思う。
 
日本は民主主義であり法治国家であるので、基本、法に反しない限り個人の自由な考えのもとで行動する権限が一人ひとりにあるというのが原理原則ではあるが、コロナへの対応においてはそうもいかないのではないか、と思った次第である。
健康と経済と自由はトリレンマだ、とか言われるが、どの2つを選ぶかは国民一人ひとりが選んでも意味がないので、国民の代表である人たちが決めないとダメなのだと思う。
 
ということで、何らかの方針は国が出すべきと思っている、という話でした。