唯一の答えがあると信じている世界

先週末から娘(5歳)が風をひいて、夜に熱が出て朝にはその熱が下がる、ということが続いた。
週が明けて月曜日、朝には熱がひいたものの、咳と鼻水が止まらなかったので、幼稚園は休ませて、病院に連れて行った。
血液検査と鼻孔に棒を入れる検査をやってもらった結果、もちろんコロナやインフルエンザではなかったが、大人にも広く広がるような風邪ではなく、念の為薬は出してもらったものの、そう長引く風邪ではなさそうとのことで、一安心だった。
あわせて、先生からは夜に熱が上がらないようであれば、翌日から幼稚園に行っても大丈夫と言われて帰った。
 
そしてその日の夜。咳や鼻水は相変わらず続いていたが、幸い熱は上がらず、明日は幼稚園に行かせることができると思い、いつもよりも早めに娘を寝かせた。
しかし、夜中も咳き込み、こちらは改善される気配はなく、朝を迎えた。
結局朝になっても、熱は出ていないが、咳や鼻水が依然として残っていたので、これは今日も幼稚園に行かせることはできないな、ということで休ませようと判断した。
 
すると、妻からは、昨日熱が上がらず今朝も熱がないし、先生も夜に熱が上がらないければ幼稚園に行っていいと言っていたんだから、行かせればいいのではないかと言われた。
去年の状況であれば、まだこの意見もわからないでもないが、このご時世、コロナやインフルエンザでなくても、明らかに風邪をひいている子どもを幼稚園や学校に行かせて、他の子どもに感染させるわけにはいかない。
結果、今日は幼稚園に行かせるべきはないと私の意見を通して、娘は休ませた。
 
私の意見は妥当であると思っているのだが、妻から見れば専門家である医者がOKと言っているのになんで幼稚園に行かせてはダメなんだろう、と思っているのかもしれない。
確かに、その先生は「夜に熱が出ないようであれば、翌日は幼稚園に行ってもいい」とは言ったのだが、「当日咳や鼻水があっても、幼稚園に行ってもいい」とは言ってはおらず、あとは総合的に親が判断しなければいけないのである。
 
妻の中ではおそらく(無意識のうちに)世の中には唯一の正解があって、(学校であろうが医者であろうが)先生が正しいというものは正しい、という感覚なんだろうな、と感じた。
 
こういうことは社内の会議でもよくあって、みんな遠慮して意見を言わずに、(正解を知っている)社長の言葉を待っている、と感じることがよくある。
学校での授業と同じように、唯一の解答があると信じているのである。
 
当然のことながら、現実の世界では、ビジネスの世界であれ、家庭の中であれ、いつでもこうすればいいという唯一の解は存在しない。
そのときの状況と条件を判断した上で、最善と思われる解も導き出さないといけない、ということを妻との意見の相違から強く感じたという次第である。
 
というわけで、とくに今年の冬はこういった、状況を踏まえていろいろと考えなければいけないことが増えるんだろうな、と思ったという話でした。