日記は紙に書かないといけないのか?

社内外問わず、出ないといけない会議がいくつかある。
私は経営者なので、社内の会議については、必要がなければやめればいいし、改善もすることができる。
しかし、社外の会議については、なかなか会議の意義そのものについての意見するのは難しい。
 
そんな社外のとある報告会議は、コロナの関係で密を避けるという理由から、人数を減らすために、同じ内容を2回に分けて開催している。
そもそも報告主体で話す人も限られている会議なので、1回あたりの参加人数を減らしてもほとんど意味がないのだが(会議の回数が増えることによってむしろ発言者のまわりの人はリスクがわずかであるが増える)、そういう方針なので仕方がない。
私は立場上、この会議に2回とも出なくてはならないのだが、同じ報告を2度聞くことになり、さすがに2回目は集中力を維持しにくくなる。
仕方がなく自分のノートをパラパラとめくってみた。
 
すると、ちょうど1年くらい前にくらいに参加した講義やセミナーのメモがあり、それを読み返すことで新たな発見があった。
自ら申し込んで行くくらいの講義やセミナーなので、内容自体は覚えているが、細かいが大事なポイントで忘れているところも多々あり、いい復習になった。
 
何も会議中の内職を勧めているわけではない。
ここで気づいたことは、紙媒体でないと、なかなかこういった振り返りができないのではないか、ということである。
 
講義録やセミナーのまとめはPCにも入っている。
ただ、なかなか読み返さないのである。
紙のノートにあるメモも頻繁に読み返すわけではないが、上記のように何か機会にふと目にすることがある。
そういったときにちょっと読み返すことができるのだが、PCの場合は読み返そうと思わないとファイルを開かないから、よほど目的をもたないと目に入ってこないのである。
 
そう考えると、日記も紙に書かないといけないのだろうか?と思った。
今年の4月から毎日日記を書いていて、書くこと自体は続いているのだが、ほとんどと言っていいほど読み返していない。
私は日記をEvernoteに1日1ノートで書いているのだが、やはり入力自体は手書きよりもPCのキーボードのほうが圧倒的に速い。
入力は速いし、管理もしやすいのだが、読み返さないのである。
読み返そうと思っても、Evernoteのノートを1つずつ開かないといけないのでかなり面倒である。よほど何か目的がないと、そのノートは開かないままである。
 
日記の効用は、書くことだけでなく読み返すことにもある。
その後者のほうができないのであれば、今のやり方には問題があるのかもしれない。
 
解決策として思いついたことは、1日1ノートというのが細かすぎるので、1ヶ月1ノートくらいにすることである。
そうすれば、読み返しやすくなる。
ただ、そうしたとしても、ふとしたときに読むということは起きにくいので、読み返すことを習慣化させないといけない。ここは私の課題である。
 
この読み返す習慣化がうまくいかなければ、紙のノートに日記を書くということも検討してみる必要があるかもしれない。
これにしても、読み返すことを重視しすぎて、入力がめんどくさくなって続かないのであれば本末転倒になるので、書くということと読み返すということのバランスが難しい。
このどちらがより重要なのかバランスを考えて、記録媒体をどうするか、しばらく考えてみたいと思う。
 
ということで、日記を書くことは習慣化できたけど、読み返すということは習慣化できていないな、と気づいたという話でした。