ポスター貼りに見る旧態依然とした選挙活動

今週末地元の市議会議員選挙があるのだが、知人に頼まれてそのポスター貼りを手伝うことになった。
 
ポスターの他に、大きな地図を2枚と貼る場所が書かれた表をもらって、合計16ヶ所のポスターを貼ってきた。
担当が山間部ということもあり、娘(4歳)と車で現地に向かい、なんだかんだ言いながら2時間くらいかけて終了。
 
率直な感想としては、思っていたより楽しかった、という感じである。
地図を確認しながらポスターの掲示板を探して貼っていく作業は、大人のオリエンテーリングの趣があった。
娘がもう少し大きくなれば地図も読めるようになるだろうから、より楽しくなるんじゃないかなと思った。
 
とはいえ、こうやって実際にポスター貼ってみて、いろいろと思うところもあったので、以下にまとめておきたい。
 

いつまでこのポスター形式を続けるのか

貼りながら率直に思ったのは、まだこんな形式でやっているんだということ。
少なくとも、自分が物心ついた約40年以上この方式は変わっていない。
惰性で続けているんだろうなと思ってしまう。
正直やめてしまえばいいのにと思うのだけど、こういうことを言うと、反対意見が100個くらい出てくるんだろう。
ただ、ポスターの費用、掲示板の設置・撤去の費用など考えると、この時代どう考えても効率的ではない。
いきなり止めるのが難しければ、徐々に少なくしていって、気がついていたらなくなっていたくらいのことはしてもいいと思う。
 

非効率だけど、巻き込みには有効

今回の選挙は30人以上が立候補しているのだが、各陣営が600以上の掲示板にポスターを貼っていく。
やめてしまうのが1番とは思うが、どうしても継続するにしても、まとめて貼ればいいのにと素朴に思ってしまう。
ただ、候補者の側から見ると、このポスター貼りをしてくれた人は、確実に自分にコミットしてくれて投票につながるので、現行の方式をやめるインセンティブがない。
ポスター貼りという比較的簡単な作業としてもらうことで、自分の陣営に参加してくれることになるのだから、巻き込むという意味では有効な手段だとは思う。
上記のとおり、やっている方もそれなりに楽しい感じもあるので、この古い方式が続いているんだなと実感した。
都市部の首長選挙などでは、ポスター貼りのボランティアを募るなんてのは、SNSとも相性良さそうだし、面白いかもしれない(もうやっているのかもしれないけど)。
 

交通事故が心配

ポスターの掲示板は必ずしも広い駐車場の近くにあるとは限らない。
かつ、多くの陣営が同じ時間に貼りに来るので、1つの掲示板に複数の車が並ぶこともある。
そうなると、交通事故の心配がつきまとう。
ここは本当に気をつけておかないと、候補者にも迷惑かける可能性もあると感じた。
このポスターの形式がなくなるとすれば、大きな事故があったときではないかとも思った。裏を返せば、これまでは大きな事故がなかったのだろう。
そして、そうした大きな事故でもない限り、この形式が続くのだろう。
 

三密は大丈夫?

うちは娘と2人で貼りに行ったが、他の陣営は複数人(2,3人)でやっているところが多かった。
現時点では新型コロナウイルスの感染は広がっていないので、それほど気にかける必要がないが、再び感染が広がってきている段階での選挙戦になった場合、ちょっとリスクが高いなと感じた。
比較的長い時間、しゃべりながらの作業になるし、寒い時期であれば車も閉めっぱなしにもなるだろう。
そういう時期の選挙でのポスター貼りは、1人で作業するように、といったガイドラインが出るかもしれない。
 
あと、ポスター貼りとは直接関係ないが、選挙カーもまあまあ三密だなと思った。
候補者にウグイス嬢、秘書や支援者と、狭い車に定員どおり乗って、選挙活動しているのを見かけた。
窓は開けているとはいえ、あの狭い空間に感染者がいたら、かなり危険だろう。
選挙活動ということで、いつも以上に、少々体調が悪くても休めない雰囲気。とくに候補者は向こう4年の生活がかかっているから休むわけには行かない。
さらには、比較的高齢の人が乗っている確率が高い。そんな人が車から降りて、有権者と話しているうちに感染したら目も当てられない(まあ、外で話すことが多いだろうし、そんなに長時間の談笑にはならないので、可能性は低いが)。
今回のコロナを機に、三密の選挙カーは禁止にしたらと思うが、どうだろうか。
案外、候補者も他のみんながやっているからやっているだけで、公に禁止したら、反対しないのではないだろうか。
 
 
ということで、選挙というのは、令和の時代になっても、昭和のやり方そのままであることに驚いたという話でした。
変化が嫌いな日本においても、政治(と教育)はとくに変わらない分野なんだなと実感しました。