誕生日は両親に感謝を伝える日である

今日は私の誕生日である。
目覚ましよりだいぶ早い5時半に起きることができ、朝からウォーキングに読書、朝風呂と朝にやりたい3つのことすべてをこなすことができ、今年の誕生日は上々の立ち上がりである。
さらには、姪っ子(中学生)からおめでとうメッセージをLINEでもらって、何とも言えない幸せな気分に浸ることができた。
 
とはいえ、正直なところ、自分の誕生日はどうでもいい。区切りの日ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。特別な日とか、祝ってもらいたいというのは、ない。
自分の誕生日ですらこんな感じだから、他人の誕生日にはほんと関心がない。大事なのは娘の誕生日だけである(嫁の誕生日もそれほど重視していないのだが、もちろんそれを公言してはいない)。
 
数年前、Facebookで自分の誕生日を公開していたら、いろいろな人からおめでとうメッセージがきて、困惑したのを覚えている。さすがに無視するわけいかないので、ありきたりな返信をするのだが、それがめんどくさかったのも覚えている。なかには、数十年連絡も取っていない中学校の同級生からあり、その同級生はいわゆるFBで友だちになっている人全員におめでとうメッセージを書いているのかな、と思ったものである。
 
と、こんな感じで、自分の誕生日には興味関心がないのだが、それでも誕生日にはどんな意味があるのだろうか、と考えたことがある。
考えた結果、私の結論は、誕生日は両親に感謝を伝える日、である。より正確には、両親に「おめでとう」と言う日、である。
 
よくよく考えてみると、自分が生まれて誰が一番うれしかったかというと、これはまず間違いなく両親であろう。
両親にとっては、子どもの親になった日である。そんな記念日の主役は、本人ではなく両親なんだろうなと思うようになったのである。
だから、両親に対して「ありがとう」の気持ちもあるが、それ以上に「おめでとう」のほうが大きいのである。
両親から誕生日に「おめでとう」と言われ、「ありがとう」と返すが、本音では私から「おめでとう」なのである。
 
ということで、「ありがとう」でも「おめでとう」でもいいのだが、今日は両親に感謝を伝えたいと思う。
とはいえ、これがなかなか言うは易く行うは難しな案件で、いざ実行するのはなかなか気恥ずかしい。
だけど、最近は娘を預かってもらうことも多く、そういう意味でのお礼はしやすいので、これに託けて感謝を伝えたいと思っている。
 
ということで、将来、娘も自分の誕生日に、少しだけ両親であるわれわれことに思いを馳せてくれたらいいなと思った、という話でした。
今日が充実した1日になればいいな。