新型コロナウイルスに見る、ミクロとマクロの誤謬

今回の新型コロナウイルスだが、当初から少なくともミクロ(個人単位)ではそんなに怖れることはないし、自分の会社の社員にもそう言ってきた。これは今でもそう思っている。
私のような地方に住む40代以下の人間からすると、感染するリスクは限りなく低いし、万が一感染して発症したとしても重症化するリスクは低い。だからそれほど怖れる必要もない。
しかしながら、これがマクロ(自治体や県、国単位)になってくると考え方が変わってくる。一から百単位くらいであれば問題ないものも、万単位、十万単位、百万単位の人になってくると、情勢が変わってくるのである。
 
どうもこのあたりのミクロとマクロの違いが直観的に理解できない人が多いように思える。自分は問題ない、まわりも問題ない、だから全体も問題ない。となってしまうのである。
 
これは要するに確率論を直観的に理解できないということである。確率がかなり低いと自分がその当たりくじ(ここでは本当はハズレくじなんだろうけど、引く確率が少ないという意味で当たりくじと表現)を引く可能性は低いのだが、確率が低くても母数が多いと、全体ではある一定数がその当たりくじを引いてしまうのである。
それで、この当たりくじを引く人が一定数以上になると、病床数や人工呼吸器の数や、病院のスタッフといった医療キャパシティを超えてしまい、パニックになってしまう。
だけど、自分と直接関係のない人口の多さと確率の関係が理解できないのである。
 
ただ、関係ないと言っても、いざ医療崩壊が起こると、自分が交通事故にあったときに助かる確率が下がる、自分の子どもが熱出したときにいつもなら簡単に治るものが後回しにされてしまう、自分の親が肺炎になる可能性がかなり上がる、などなど関係ないでは済まされなくなるのだが、このあたりの因果関係も直観的には理解されにくい。
 
なんてここまで書いてはみたのだが、それでも自分だけは関係ないと思うのが人間であり、実は私も先日東京への出張を決行した。
私としては、今回の新型コロナウイルスの情勢については、かなり的確に情報収集していた自負があったので、確率的に感染する可能性はかなり低いというのはわかっていた。
一方で、マクロの状況についても頭ではわかっているつもりなのだが、結果として個人の状況を優先させてしまったのである。
 
おそらく(というかかなり高い確率で)新型コロナウイルスには感染していないと思うが、このように考える人間が増えれば増えるほど、社会全体のリスクは高まってしまうのである。
そういう点から、今回の東京出張はちょっと軽率だったと反省している。
 
ということで、言うは易く行うは難し、という話でした。