コロナに対する識者の認識分類

コロナがわれわれの生活に影響を与えだして、約1年半が経とうとしている。
コロナに対する認識は、われわれの意見を集約するどころか、ますます分断しているように感じる。
 
一般的には、自粛派やコロナ風邪派など、両極端な意見を多く目にするが、これはコロナは怖いか・怖くないか、だけで分けた分類である。
しかし、これだと分類が雑で、もう少し解像度を上げてみると、以下のように分類できると考えている。
それは、ミクロレベル(個人や家族レベル)での怖さとマクロレベル(自治体や都道府県、国)での怖さで分類する考え方である。
 
①ミクロレベルで怖い(当然のことながら、マクロレベルでもコロナは怖い)
②ミクロレベルではそれほど怖くないが、マクロレベルでは怖い
③ミクロレベルでも、マクロレベルでも怖くない
 
2×2のマトリクスにすると、ミクロレベルで怖いが、マクロレベルで怖くないという象限もあるのだが、こう思う人は基本いないと思われるので、ここでは除外する。
 
ワイドショーを中心に多くのマスコミは①の分類であろう。コンテンツをつくっている人たちがどこまで意識しているのかわからないが、国民の多く(少なくともテレビをよく見る層)はここの分類だという前提で番組をつくっているように思われる。
一方で③は、ネット界隈では永江一石氏あたりがこの典型か。
原発問題のときに、原発を過度に怖れる人たちを「放射脳」と煽っていた人たちは、今回も過度にコロナを怖れる人たちを「コロナ脳」と言って③の立場で論を展開しているように見受けられる。
 
この分類でわかるように、ミクロな視点とマクロな視点で見え方が違う場合があるのが、コロナの現象の特徴であると考える。
ミクロレベルでは知り合いに感染者でも出ない限り、そのおそろしさを実感するのは難しい。実際、感染したからといって、症状が出ない人もいるし、また症状が出たとしても中等症・重症になる人はまれである。
しかし、マクロの視点で見ると、感染者数が増えれば重症者や死者は一定数出てくる。症状が重い人が集まってくる医療機関にいる人から見ると、ずっと戦時のような状況だろう。
原発のように安全なのか安全ではないかのか、といったように二元論で語れないことが、コロナがさらに分断を生む要素だと思う。
 
それでも、①と③はわかりやすい。両極端なので、意見としてはわかりすいし、わかりやすいが故に多くの人がどちらかに属して好き勝手に意見に言っている。
それに対して②の人も多いと思うが、②に分類される人も、今はミクロレベルの話をしているのか、マクロレベルの話をしているのか意識していない人が多いと思われる。
 
それに加えて、②の人はもう1つの軸で、コロナを判断しているため、さらにわかりにくくなっていると感じている。
そのもう1つの軸は、世間一般の人がコロナに対して賢く行動できると思っているか否か、である。それによって、②の人は以下の2つに分類される。
 
②-1マクロレベルでは怖いし、多くの人たちは賢い行動を取ることはできないので、ある程度規制をかけてでも感染を抑制すべきである
②-2マクロレベルでは怖いが、みんなが賢い行動と取れば大きな問題にはならない
 
私自身、コロナについては、感染の原理原則を正しく知り、その上で行動すれば、それほどおそれなくてもいいと思っているが、そういった行動をみんなが取れるかどうかと言えば別である。
正しい理解のもとに多くの人が行動できると思っているか否かで、意見は大きく変わってくる。
 
改めて、分類したものを以下に並べてみる。
①ミクロレベルで怖い(当然のことながら、マクロレベルでもコロナは怖い)ので、がんがん規制をかけて感染を抑制すべきである
②-1マクロレベルでは怖いし、多くの人たちは賢い行動を取ることはできないので、ある程度規制をかけてでも感染を抑制すべきである
②-2マクロレベルでは怖いが、みんなが賢い行動と取れば大きな問題にはならないので、規制はあまりすべきでない
③ミクロレベルでも、マクロレベルでも怖くないので、規制なんかいらない
 
例えば、堀江貴文氏あたりは、③のコロナは風邪派だと世間一般には思われているが、正確には②-2のタイプで、きちんと対処すれば問題ないということを言ってる。
ただ、結論や本質だけを発言したり、切り取られたりするので、③のタイプと思われてしまうのだと思う。
 
一方で、私がフォローしている人で②-1のタイプは、藤沢数希氏であったり、サトウヒロシ氏あたりか。基本的に大衆は合理的に行動できないという前提に立って論を展開しているように見える。
あと、良識的な医療関係者の多くはここに分類されると思っている。明確に、多くの人は賢い行動を取ることができないと意識しているかどうかはわからないが、少なくとも無意識のうちにはその前提で話をしているように感じる。
②-1は、①のタイプとは似て非なる分類である。
 
②-2のタイプで、地に足がついた論を展開しているのが、指南役氏。
コロナの初期から、解像度の高い分析をされていて、私自身コロナや感染症を理解するのにかなり参考にさせてもらった。
 
私自身は、ずるいのだが、国や自治体とマクロなことについて意見するときは②-1、何か自分の行動に関係することを意見するときは②-2になっていることが多い。両方をいったりきたりしている。
ただ、少なくとも①や③の意見に偏らないようにしようとは気をつけている。
 
こうやって分類してみるとわかるのが、①と②-1、③と②-2は同じように見えるということである。
本来であれば、②-1と②-2の人は意見としては近いはずなのだが、二分すると②-1と②-2のところで分かれてしまうのでである。
ここにコロナによる世論の分断を大きくしている要因が隠されているように思うのだが、どうだろうか。
 
ということで、似て非なる意見をきちんと分けて認識するのは難しい、という話でした。