それしかできない時間を活用する

最近、ちょっと理由があって家事をすることが多いのだが、その中でも時間を使うのが洗濯物をたたむことである。
洗濯自体は乾燥も含めて洗濯機がやってくれるし、掃除はルンバが、食器洗いは食器洗浄機がやってくれるので、ほとんど自分の時間は取られない。
ただ、洗濯物をたたむということは、まだ機械が自動でやってくれるわけではないので、自分でやらないといけないし、そこそこ時間がかかる。
そんな洗濯物をたたむという作業、昔はめんどくさいなと思ってたが、今はそれほどイヤではない。
なぜかというと、たたみながらVoicyやYouTubeで情報を得ることができるからである。むしろ溜まっているコンテンツを消化するのにちょうどいいのである。
これが完全に自由な時間であれば、まず何をやるかを考えてしまい、そうこうしているうちに時間が経ってしまうのだが、洗濯物をたたむという行為といっしょにできることは限られているので、迷わずに済むのがイイのである。
 
これは、かれこれ20年近く前東京に住んでたとき、通勤時にやることがなかったので(しかも満員電車で苦痛!)仕方がなく本を読みだしたときと構図が似ているように思った。
最初は新聞をもって電車に乗り込んだのが、新聞を読むにはスペースが必要で、ポジショニングが良ければうまくたたんで読めたのだが、ちょっとでも場所が悪いともう読めなくなるということで、自然と本に移行していった。他にできることがなく、満員電車という苦痛を和らげるには読書しかなかったのである。
余談だが、それ以来、本をよく読むようになり、読書を習慣化することができた。当時、今のようにスマホがあったら読書は習慣化できていなかったと思う。
 
最近では、娘とドライブに行くとき、オーディオブックを聞くようにしているが、これも似たような時間活用術だろう。ここでも運転中に他にできることがないので、空いている耳を活用して読書をするという選択肢しかないのである。
 
ここで言いたいこととしては、苦痛であったり暇である時間もやりようによっては楽しい時間に変わるし、このように同時に2つのことができる時間は思った以上にあるということもあるが、それ以上に言いたいのは、それしかできない時間は意思決定をしなくてもいいので、ストレスがないということである。
 
われわれの毎日は些細な意思決定の連続であり、思っている以上にそれが脳をエネルギーを消費している。
この時代、テレビだけでなくスマホでインターネットにすぐにつながることができ、時間をつぶすだけでもたくさんの選択肢がある。
何でも自由に使える時間であれば、そのたくさんの選択肢の中から何をしようか考えるというコストが発生するのだが、それしかすることがない状況であれば、意思決定のストレスがかからないのである。
 
ここの利点をよく理解しておくことは大事だと思っていて、こういった暇つぶしの時間だけでなく、このときはこれをするというように決めておくことが脳のエネルギーを有効に使うことにつながる。とくに最近脳体力の衰えを実感している私としては、限りあるリソースを効果的に使っていきたいものである。
 
ということで、最近洗濯物をたたむ時間がちょっと心地よく、楽しみになってきているという話でした。