洗濯物をたたむとブログのネタが思いつくかもしれない

今週末は仕事も兼ねた家族旅行に出かけるということで、このブログも在庫をためておかない毎日更新ができなくなるかもしれないと思い、何を書こうか考えていた。
ただ、ネタが出ないときは、うんうん唸って考えても出てこないし、一方で旅行の準備をしないといけないので焦っていたのだが、焦れば焦るほど思い浮かばない。
考えても先に進まないので、先に旅行の準備をしようと思い立った。
 
自分の持っていくものだけでなく、子どもたちの着替えなども準備しないといけないのだが、持っていくものだけをピックアップしようとすると、逆に手間取りそうだったので、とりあえず積まれている洗濯物をすべてたたむことした。
するとである。たたんでいる途中に、あれを書けばいいや、これを書けばいいやと2,3ネタが思いついたのである。
不思議なことで、パソコンの前に座って考えていても何も思い浮かばなかったのに、洗濯物をたたんでいたら思いつくのである。こんなことなら先に洗濯物をたためばよかったと後悔したくらいである。
 
ではなぜ、パソコンの前では思い浮かばないのに、洗濯物をたたんでいたときの思いついたのか。たまたまの可能性も高いのだが、意味があったよう気もするので、考えてみた結果、3つの理由が思い浮かんだ。
 
1つは、手を動かすことの有効性。
パソコンに座って考えていても基本は身体を動かすことは少ない。たまにキーボードを打ったりするが、せいぜいそのくらいである。
それに対して、洗濯物をたたむという行為は手を動かす。身体が何かしら動くことで刺激を受け、頭の中が活性化されているのかもしれない、なんて思ったりした。
 
2つめは、1つの作業に集中できる有用性。
パソコンでの作業は集中しているようで、誘惑も多く、ウェブブラウザでいろいろな情報を見に行ったりできる。現に、実際こうやって記事を書いている今現在も、ウェブの情報を見に行ったりと、気が散っている。
これに対して、洗濯物をたたむという行為は、基本それだけしかできない。もちろん、動画を見ながらやってもいいのだが、案外たたむ行為に集中するとアイデアが思い浮かんだり、考えを整理できるのではないかと思ったりした。
 
最後3つめは、作業が進んでいる安心感がもたらす作用。
パソコンの前でアイデアを考えているとき、アイデアが出ないとまったく先に進んでいない錯覚に陥ってしまう。いや、実際にまったく進んでいないのだが、それによる焦りが余計に思考の邪魔をしたりするような気がする。
それに対して、洗濯物をたたむという行為は、やればやっただけ目に見える成果を得ることができる。その安心感によって、新たな考えが思いつく、そんなことがあるかもしれないと思ったりした。
 
と、こんな感じで根拠は薄いのだが、何か新しいことを考えるときに、考えずにできる作業を入れることで、ふと思い浮かぶことがあるかもしれないと考えた次第である。
 
ということで、何を書こうか思い浮かばないときは洗濯物をたたんでみよう、という話でした。