夏休みの宿題から考える、無限の時間・有限の時間

今年もそろそろ夏休みが終わる。そこで困るのが夏休みの宿題。
1ヵ月半もあると思ってたのに、気づけばあと少しで夏休みは終わってしまう。なのに、宿題はほとんど手をつけていない、という経験を多くの人がしていると思う。
 
私自身、いつも夏休みになると、7月中には全部の宿題を終わらせてしまおうと考えていた。
で、問題集的なものから手をつけ、それらはすぐに終わらせていた。しかし、絵画や自由研究といった「大物」は、一応やり始めてはみるものの、中途半端な完璧主義がわざわいして、きちんとしたものができないとわかるとそこでやめてしまっていた。
そのまま、忘れたつもりで放っておいた大物たちも、さすがに8月中旬を過ぎたあたりから、その存在は大きくなってくる。そして期限がせまると、それこそ中途半端な作品を仕上げて、そのまま提出ということになる。当然、"質"のよいものはできない。
 
なぜ宿題は残ってしまうのだろうか。
 
私が考えるに、(中途半端に完璧主義な性格は置いといて)時間への感覚がそうさせるのではないか。
夏休みが始まったころはそれこそ、時間はいくらでもあるように感じる。しかし、終わりに近づくと時間は限りあるものに感じてくる。無限にあると思ってた時間が有限であることに気づくのである。
テストの前日にならないと勉強を始めなかったり、いろいろやりたいことがあるのに休日だらだらと過ごして日曜の夕方に後悔してしまうのも同様である。
人間、締切り近くにならないとやらないものなのである。
 
とは言っても、いつも締切間近に苦労することは避けたいものである。
では、どうすれば、よいか?
 
その解決策は、常に時間が「有限」であることを意識できるような環境をつくることである。
具体的には、細切れに締切を設けるということである。
 
学生時代のゼミでは、3ヶ月という割と長丁場のグループワークがあったのだが、担当教授は毎週締切を設けて、学生に発表させていた。
そうすることによって、3ヶ月あるから、残り1ヶ月でがんばればいいや、などという意識は生まれず、絶えず締切に追いかけられているような感覚であった。
その結果、質的にはそれなりによいものができたし、何よりそのグループワークのプロジェクトをやり遂げたという達成感を得ることができた。
 
また、現在の話だが、うちの会社では毎月営業会議を行っており、そこで出た課題を次回までに解決ないしは進捗させて次の会議に臨むよう、会議をペースメーカーとして機能させている。そのことによって、3ヶ月・半年・1年といった実感の湧かない時間間隔ではなく、1ヶ月という単位で自分に何ができるかを考えるよう仕向けているつもりである。
 
余談だが、「7つの習慣」では、週次レビューを勧めているが、これも区切りをつけることで時間の有限感を意識させているのだと思う。
 
ということで、実感の湧かない時間単位ではなく、時間が足りないと思うくらいの時間単位で考えたほうが、ものごとは進むという話でした。
とはいえ夏休みの宿題の場合、小学生自身がみずからマイルストーンを設定して・・・、などということはむずかしいので、先生や親がなんらかの締切をつくってあげるといいかもしれない。自分の娘が小学生になったら考えてみたい。