温泉の脱衣所に見るライフスタイルとマナーの変化

最近、娘(3歳)と温泉に行くことが多く、また出張の際には大浴場つきのホテルにするので、公共の温浴施設をよく利用するのだが、脱衣所で身体を拭かずにそのまま出てくる人が多いことに驚くことが多い。外国人が多くなったからか、と思っていたがどうもそうではない。若い人が多いのかなとも思っていたが、これもどうやらそうではなく、おじさんというかおじいちゃんでも多い。要は老若男女、日本人外国人関係なく多いのである(もちろん女性は見ないのだが)。
 
昔(自分の幼少期)はどうだったのか、正直なところしっかりとは覚えていないのだが(そもそも温泉や銭湯に行く機会もほとんどなかった)、そのあたりのマナーはきちんとしていて、なんとなく今のほうが悪くなっているような気がする。
もしかすると、昔からこんなもんだった、ということなのかもしれないが、ここでは身体を拭かずに出るというマナーについては悪くなっていることを前提に論を進めさせてもらうと、ではどうしてこの身体を拭いてから浴室を出なくなったのだろうか?
この問いに対する私の仮説が以下のとおりである。
 
これは私の幼少期のころのうちの家族の話だが、浴室では1枚のタオルを、風呂を出てからは1枚のバスタオルを家族で共用していた。当時は昭和の後期で、今思えばタオルの枚数をもっと多く使ってもよかったのではないかと思わなくもないのだが、とりあえずうちはそういうスタイルだった。おそらく、昭和中期のころのあまりものがなかった時代の名残りと洗濯ものを増やしたくないとの思いで、(無意識のうちに)母親がそうしていたのだと思う。
そうなると、濡れた状態で風呂から出てバスタオルを使うとすぐにびしょびしょになってしまうので、各自が浴室でよく拭いてから出てくることになる。たまに濡れたままで浴室から出てバスタオルで拭こうものなら、母親から怒られたことを思い出す。ということで、自然のうちに、身体についた水滴は浴室内で拭いて、バスタオルはあくまでも身体に残った湿気を取るくらい、という役割分担ができていたのである。
 
で、ここからは推論なのだが、平成の時代になり、タオルやバスタオルはいっそうコモディティ化し、また自分で買わなくてもお中元・お歳暮や香典返しなどでもらう機会も増え、家中にあふれかえるようになる。また、洗濯機も全自動さらには乾燥機付が主流となり、洗濯のハードルもだいぶ下がっていったと思われる。そんな中、タオルやバスタオルも1人1枚の時代となり、浴室で身体を拭かずにそのまま出て、直接バスタオルで拭くという人が増えたのではないだろうか。
それが習慣になってしまい、温泉などの温浴施設においても、ろくに身体を拭かずに脱衣所に出てきて、床がびじょびじょになってしまうということが起きているのではないだろうか、ということである。
このように、昔はタオルという「もの」と、洗濯という「サービス」に制約があったため、タオルを大事に使うことで自然と守られてきたマナーがあったのだが、ライフスタイルが変わり、それが制約でなくなることでマナーに対する意識も変わってしまったのではないか、という仮説である。
 
昔、とある番組で劇団ひとりが、合コンで「バスタオルをどのくらいのタイミングで取り替えるか」という話題が意外と盛り上がる、という話をしていたが、これは下ネタではないのだが裸を連想させることにいう絶妙なバランスの話題ということに加えて、それぞれの人のライフスタイルが垣間見えるということも盛り上がる要素だったのではないだろうかと思う。
 
と、いろいろと書いてきたが、要は公共の温浴施設ではきちんと浴室で身体を拭いて出てきてくれ、という話でした。温泉協会(なんてあるのか知らんけど)あたりが、浴室で身体を拭いて出ようキャンペーンでもしてほしいところである。