敬語の誤用から考える、原則の理解と実際の活用の乖離

会社の会議で管理職から社長である私に対して「(部下に)~していただきました」という報告を受けることがたまにある。
「していただく」は謙譲語であり、詳しくは後述するが、自分(報告した管理職)が社長である筆者に対してへりくだらないといけないと考えて謙譲語である「していただく」を使ったのか、もしくは丁寧語を勘違いしているのか、どちらかの理由で起こる誤用と思われる。
 
まあ、社内であれば問題ないのだが、社外のお客様や取引先に使っているとすると格好が悪いので、少なくとも管理職には敬語は正しく使ってねということで、これが誤用であることを説明してみた。
 
敬語は一見難しいが、原則を理解すると案外すんなり整理できる。ただ、原則を理解させるのが難しい。
学校では、尊敬語は相手を上げて、謙譲語は自分を下げる、丁寧語は文字通り丁寧な言い方、と習う。これはこれで間違っていないのだが、自分と相手だけでなく登場人物が3人以上になると急にややこしくなり、思考停止してしまう。
 
例えば、営業担当者と上司の部長がいて、
①部長が(どこかから)来るのであれば「部長がいらっしゃいます」(尊敬語)でいいのだが
②その営業担当者がお客さんといて、自分の上司である部長がその場に来るのであれば「部長が参ります」(謙譲語)になる。
 
同じことを言っているので、表現が変わってくるのでややこしいとなり、敬語は難しいとなるのである。
なので、まずは「相手を上げるの尊敬語、自分を下げるのは謙譲語」と覚えるのではなく、まずは「こちら側」なのか「あちら側」なのかを線引し、あちら側を上げて(尊敬語)、こちら側を下げる(謙譲語)と整理したほうがスッキリと頭に入るのではないかと思っている。
 
上記の例で言えば、
①営業担当者(自分)と部長の関係性は、自分がこちら側、部長があちら側→「来る」主体は部長なのであちら側→あちら側である部長を上げるために尊敬語を使う→「いらっしゃる」
②営業担当者(自分)と部長とお客さんの関係性は、自分と部長がこちら側、お客さんがあちら側→「来る」主体は部長はなのでこちら側→こちら側である部長を下げるために謙譲語を使う→「参る」
となる。
 
では、最初の管理職の報告の例ではどうなるか。
ここでは、報告する管理職とその部下と社長である私が登場人物。
この事例は、管理職から見たとき、管理職である自分と部下がこちら側で、社長があちら側と考えてしまったところに間違いのもとがある。
「してもらう」という行動については社長である私は登場しておらず、管理職と部下の間のものなので、管理職がこちら側、部下があちら側となる。それであればその「してもらう」部分に対しては敬語は必要ないので、普通に「してもらった」と表現すればいい。
さらには、それを社長に報告するときは丁寧語をつかって「してもらいました」とすればいいのである。
 
「してもらう」段階では、管理職がこちら側で部下があちら側、それを報告する段階では、管理職がこちら側で、経営者である筆者があちら側と二重構造になっているのでややこしいのだけど。
 
 
とまあ、こんなことを説明するのだが、数式を解いているようで、聞いているほうはなかなか受け付けない(余談だが、敬語はいわゆる「理系」のほうが理解が得られやすいように思う)。
たとえ、その説明の場ではいったんの理解をしたとしても、こういう類のものは、人に自分で説明できるぐらいまで理解しないと、実際には使えない。
10人いたら、6~7人は右から左に聞き流し、2~3人はいったん理解するが忘れてしまい、理解・実践できるくらいのは1人といった割合だろうか。
かくして、聞いている多くの人は、とりあえず社長の前では、「~していただいた」は使わずに「~してもらった」を使おう、と抽象の世界での理解はしようとせずに、具体の世界で場を乗り切ろうと考えてしまうのである。
 
ということで、原則という抽象度の一段高いことを説明するのはなかなか難しいですね、というお話でした。