「努力の習慣化」のための「努力の『最小化』と『集中化』」

私の敬愛する楠木建先生が、「努力の娯楽化」という言葉を使われる。
他人からは努力を要するようなことであっても、自分の好きなことであれば、無理しなくても継続できるということから、趣味だけでなく仕事においても好き・嫌いで選択すべきとおっしゃっている。
 
この「努力の娯楽化」という考え方は、「努力の習慣化」と対の概念であると思う。
「努力」の対象は、通常「やりたいけど、なかなかできない、(本当は)やりたくないこと」を指していて、まわりの人は「なかなかできないこと」だけど自分にとっては「好きなこと」でがんばっていこうというのが「努力の娯楽化」である。
だからこそ、自分の好きを抽象化して、本当に自分が好きと思える娯楽化できる分野で勝負すべきと、楠木先生の主張されている。
 
とはいえ、この「娯楽化」は結果として娯楽になるくらいに好きになったわけで、(子どものころからずっと好きだったということでなければ)スタート時点では娯楽と呼べるほど好きになれていないことも多いはずだし、今はめんどくさくてやりたくない気持ちもあるけどでもそれができる自分になりたいということもあると思う。
ではどうすれば、「娯楽」にできるのだろうか。その第一歩として2つのアプローチがあると思う。
「努力の習慣化」を「やりたいけど、なかなかできない、(本当は)やりたくないこと」を「長く継続してやること」と定義したとき、前者のハードルを下げることと、後者のハードルを下げることが考えられる。
それぞれ、「努力の最小化」と「努力の集中化」と名付けることにする。
 
1つめの「努力の最小化」。私自身の例だと、読書が挙げられる。学生時代までの私は、読書を習慣化できるとかっこいいなと思いながら、なかなか実現に至らなかったが、社会人になってから、満員電車での通勤を強いられることになり、その苦痛を少しでも和らげようということがきっかけで本でも読もうかという気になった。このとき気をつけたのが、難しい本を読まないこと。往復の通勤時間で1冊読めてしまうような簡単な本をチョイスして読むようした。すると達成感もあり、徐々に冊数も増え、次第に厚く難しい本への抵抗感も薄れていった。多いときは年に100冊以上読めるようになったし、結果として私にとって読書は「娯楽化」した(現在は通勤時間がかなり短いので読書の時間をどう確保するかが課題)。
 
「小さな習慣」という本でも紹介されているが、「毎日1回の腕立て伏せ」のような努力の対象を小さくしてしまうという方法は、「努力の習慣化」ひいては「努力の娯楽化」の第一歩に非常に有効なのではないかと思う。
小さな習慣

小さな習慣

 

 

もう1つの「努力の集中化」。継続してやらないといけないと思うからなかなかスタートが切れないのであって、期間限定と定めると、それならやってみるかという気になる。
私の例では、ダイエット。某結果にコミットするジムに通ったのだが、そのときこの「努力の集中化」を意識した。それまでもスポーツジムの会員にはなっていたが、どうしても通えていなかった。そこで、思い切って2ヶ月だけ集中してやってみようと入会して通った。結果、思い通りの成果は出たし、その後も(別の)パーソナルトレーニングに通うようになった。結果が出るとうれしいし、もう少しやってみようという気になり継続できている。正直、筋トレや食事制限自体が「娯楽化」したとまでは言えないが、期間を限定することで第一歩を踏み出せるという効果はあるのではないだろうか。
 
ということで、このブログも、月1回更新という低いハードルでスタートしている。今のところ、順調に?更新できているが、記事を書くこと自体が「娯楽化」できるようになるまで続けていきたいし、どこかで1週間毎日更新とか、1日で5つの記事を更新とか、「集中化」してみることも…、そのうちやってみたい。