手段の目的化

 
「手段の目的化」という言葉をはじめて聞いたのは、大学のある講義でだったと思う。講義の内容はきちんと覚えていないが、教室のイメージは頭に残っていて、この概念を知ったときの静かな興奮は確かに記憶に残っている。
手段の目的化の例としてよく挙げられるのが、ダイエットの話であろう。ダイエットという目的の手段として、食事の制限や筋トレ・ランニングなどの運動などがあるが、よくよくなぜダイエットするのかと考えると、モテたいためだったというやつ。モテたいのであれば、ダイエットも1つの手段だが、他にも方法はある。何を目的に設定するかによって、適切な手段は変わってくるので、常に目的を意識することが大事であるということである。
実は目的と手段はただ対の概念というだけでなく、それが数珠つなぎで連鎖しており、ある見方をすれば手段だが、違う見方をすれば目的になるということである。
 
こんなイメージ
目的
  ↓
手段(目的)
          ↓
  手段(目的)
             ↓
     手段(目的)
                ↓
                手段
 
さて、その大学の講義でこの「手段の目的化」という話を聞いたときに、下のようなイメージのモデルを思いついた。
時間が経って目的は変わっているのに、手段は古いまま温存されているということを表したモデルである。
 
あるべき姿
古い目的→新しい目的
 ↓     ↓
古い手段 新しい手段
 
よくある光景
古い目的→新しい目的
 ↓     
古い手段→古い手段(が温存される)
 
このモデルに当てはまる典型的な例としては、終身雇用・年功序列の雇用形態が挙げられるだろう。
高度成長期の雇用形態としてかなりうまくいったものが、低成長・成熟社会には機能しないどころか、逆に足枷になっているというあれである。
それなのに、終身雇用・年功序列は日本固有のものであると、このこと自体を目的(というか守るべきもの)化してしまう人がよくいるのは面白い(ちなみに、こんな保守的なことを言う人がリベラルと呼ばれるのも面白い)
それはともかく、なぜ古い手段が温存されてしまい、新しい目的にそった新しい手段をつくるのは難しいのだろうか。
それは古い手段が厳然としてそこにあるからだろう。何もなくて、ゼロベースでつくるのであれば、きっとそこまで難しくはないはず。
それでも時代は変わっていくし、それに合わせて手段を変えていかないと時代から取り残される。
 
なんて大きなことを考えていたら、自分の会社でも温存された古い手段がいくつも思いつく。
昨日もそんなことがあったが、誰も気にならずに、前例どおりそのやり方を踏襲しているし、自分もそれをやめるように言えてなかった。
こんな簡単なことでも古い手段が温存されてしまうのだから、終身雇用・年功序列が終わるのはいつになるのかな~と、遠くを見つつ、自分は自分でできるところから1つひとつ新しい手段に変えていきたいと思う。