少しでも確率高いほうを選ぶか、失敗しても納得できるほうを選ぶか

サッカーワールドカップカタール大会。決勝トーナメント日本-クロアチア戦のPKについて、城彰二氏が苦言を呈していたという記事が出ていた。
これ自体はまっとうな意見だと思うし、やはりPKに対する準備が足りていなかったのかなという印象はあるが、ここで私が言及したいのは、少しでも確率が高いほうを選ぶべきか、失敗しても納得できるほうを選ぶべきか、という論点。
 
今回のPKについては、この記事やその他の情報を見ると、選手がPKを蹴る人や順番を決めていたとのこと。
これが正しい情報だとすると、責任者(ここでは監督)がもっとも高い確率だと思う選択肢ではなく、選手が(仮に負けても)納得できる選択肢をチョイスしたということになる。
 
この論点は、どちらかが正しく、片方が間違いという類のものではないが、ことワールドカップの場面となると、より確率が高いものを選択すべきとなるであろう。
これは目的を達成するのに、よりふさわしい手段を選ぶべきということで、勝利が絶対命題である場面においては、その確率が少しでも高いほう選ぶべきとなる。
 
これが例えば、高校野球なんかで、最後の試合で負けがほぼ確定していて、これまで出ていなかった3年生選手を代打に送り出すといった、勝つための確率が高くない選択肢をとることはよくある。
これは勝利というものが最上位目的ではなく、それよりも楽しい思い出が上位の目的と設定するのではあれば、何も問題はない。
 
ただ、今回のPK戦に限らずだが、失敗の確率が高くてもより納得するほうを選択するということは、往々にして起こる。
 
とくに日本では、和を重んじるではないが、みんなの納得度の高い選択がなされることが多い印象がある。
会社の業績を考えれば、失敗プロジェクトの担当者を外すことが最善の選択肢であるとわかっていても、その本人含めてみんなの納得度が上がるから、最後までやらせるなんてことはよくあるし、私もやりがちである。
 
とはいえ、勝利や業績といったものを、最上位目的に置くのであれば、その確率がもっとも高いものを選ぶことを考えないといけない。
仮に失敗したときのまわりの納得度が低くても、それでもリーダーは確率が高いほうを選択し、リーダー自身が決断しないといけないなと、記事を読んで感じた次第である。
 
ということで、勝ちにこだわるのであれば、納得度よりも勝利の確率が高いほう選択すべき、という話でした。