子どもを病院に連れていきたくない3つの理由

冬は風邪のシーズン。ご多分に漏れず、うちの下の子(3歳半)も風邪の症状が出ていた。咳から始まり、微熱がある、といった感じ。
こんな症状だと、保育園からは病院を受診をしてほしいと言われるのだが、正直連れて行きたくない。
 
なぜ連れて行きたくないかというと、その理由は3つあるのだが、1つは面倒くさいから。
とくにこの時期の小児科は混んでいる。中途半端な時間に行くとかなり待たされる。待たされるだけならいいが、駐車場にも入れないこともあったりする。
なので、どうしても行かなくてはいけないときは、朝一か、夕方最後の時間に行くようにしているが、それでもかなりの時間がかかる。
もちろん、子どもがつらそうなら病院に連れて行くが、咳や微熱くらいで本人が元気にしているのであれば、わざわざ行かなくてもいいのではと思ってしまう。
 
と、1つめの理由は親の勝手な都合なのだが、もう2つはそうでもないと思う。
2つめの理由は逆に病気をもらいそうだから。
コロナもあって、病院側も対応を工夫していて、他の子どもたちとなるべく接触しないように受診できるが、それでも感染のリスクはそれなりにある。
本人がつらくもないのに無理やり病院に行って、そこで病気をもらってかえってつらくなるなんてことになったら目も当てられない。
受診のコストとメリット、加えて感染のリスクまで考えると、割に合わないと思ってしまう。
 
そして、3つめ。これが割りと理由としては大きいのだが、それが薬の量。
咳き込んでいるからと病院に連れて行くと、季節の変わり目で咳が出ているだけで、ウイルス性のものではないなんて診断されることも多い。
だったらそのまま放っておけばいいと思うのだが、それでも受診をするとご丁寧に薬を処方される。それも2週間分とかなり長い期間の量を。
ここ最近はどこの自治体でも、子どもの病院の受信料や薬代は無料になっているが、だからといって大量の薬をだされるとちょっとストレスになる。
毎日毎食後、忘れずに飲ませ続けないといけないストレスに加えて、薬がもったいないという思うことによるストレスもある。
後者のほうは、薬がもったいないからと余ったものを置いておくのだが、管理するのも面倒になり、結局どこかのタイミングで捨ててしまうことになる。ただでさえ医療費が嵩んでいる中でこういう無駄が日本中のそこかしこで起こっているかと思うと、それだけでストレスになったりするわけである。
 
ということで、極力子どもを病院に連れて行きたくない、という話でした。
 

頑なにキャッシュレス化しない美術館の音声ガイド端末貸出サービス

事前に興味のある美術展をチェックしておいて、出張の合間に近くであったら見に行ったりすることがあるが、今週の出張でもちょっと時間が空いたので、近くでやっていた特別展に行ってきた。
 
今回行ったのは、大阪中之島美術館でやっていた「モネ 連作の情景」。取引先の訪問と夜の会食までに時間があったので見てきた。
 
こういった美術品の良さは、まだ正直よくわからないことが多いのだが、それでもモネの絵は近くで見るのと、ちょっと引きで見るのとで、目に見える感じが違って面白かった。1時間ちょっとだったが、贅沢な時間だったなと思う。
 
さて、こういった美術館の特別展に行くと、音声ガイドサービスを利用するようにしている。専用の端末とヘッドホンがあって、作品の背景や詳細を解説してくれるサービスだが、ただ作品を見るだけで得られない情報も入ってくるので、毎回借りるようにしている。
で、ここでいつも思うのが、なぜ現金払いしか対応していないのか、ということ。
 
今回は出張中ということもあり、現金は何かあったときのために取っておきたかったのだが、やはり現金のみだったので、しぶしぶ現金で支払った。
ここで文句を言っても仕方ないと思いながら、なぜこういった音声ガイドの端末貸出サービスでは現金でしか対応していないのか、受付の人に聞いてみたら、手数料がかかるからと言っており、正直このご時世何を言っているんだろう、と思ってしまった。
 
こういった美術館の音声ガイド端末貸出サービスでは、受付に簡易的な金庫をもってきて、そこでお金のやり取りとしていることが多い。
領収証はもらえるが、ただの紙を渡しているだけだし、数値管理をしている様子もないので、何台借りられたのかは最後にお金の計算をしてみないとわからないはずである。
現金以外の精算を導入すれば売上は上がるはず(少なくとも下がることはない)で、穿った見方をすれば、現金払いのみにすることで貸出数をちょろまかしているのではないかと思ってしまう。
 
音声ガイドの貸出サービスは美術館とは別の会社が運営しているのだろうが、今の時代であれば簡易的なキャッシュレスサービスはいくらでもあるし、だいたい美術館の入口や物販ではいくらでもキャッシュレスに対応しているので、美術館側に運営を委託するのでもいい。
このキャッシュレス時代、現状維持に固執しないで、投資をするなり、何らかの工夫をするなりしてもらいたいのと思うのだが、いかがだろうか。
 
ということで、美術館の音声ガイドの端末貸出サービスは、さっさと現金以外の精算にも対応してほしい、という話でした。

報告や掲載を意識して写真を撮る

仕事柄、新しいビルに行って、その写真を撮ることが多い。外観だけでなく、エントラスやエレベータなど、いろいろなところを撮って歩く。
基本的には自分で見返すのが目的なので、多くの場合問題はないのだが、たまに困るのがそこで撮った写真を報告資料やプレゼンテーションに使用するとき。
写真を撮るときは何の気なく撮っているので、後で使おうと思ったときに微妙なものばかりで使えなかったりする。余計な人が入り込んでいたり、構図がイマイチだったり。
 
この前も学生向けのプレゼンテーションに使おうと思って写真も見返したのだが、どれも今一つ。仕方なく、それでも一番まともそうなものを使ったのだが、せっかくならもっと写真を撮っておけばよかったと思ったりする。
 
上述したようなケースだと、もともと使う予定ではなかったので、仕方がないといえば仕方がないのだが、これが掲載を予定しているような写真でも同様のことが起こったりする。
自社のパンフレットをつくるときなんかにお客様のインタビューを掲載するのだが、そんなときにとりあえず良さそうな写真を撮ってくるということをやっていると、後から困ることがあったりする。
例えば、インタビューした人の写真を掲載をしようとして数枚写真を撮ってみたら、どれも背景が雑然としていて使いにくかったりすることなどよくある。この部分を消すことができればと思ってももうできない。現場で気づいていたら違う角度で写真を撮ることもできたのだろうが、だいたいチェックが甘かったりする。また、編集時になってこういった写真がほしかったということもよくあるが、後の祭りである。
 
とくにパンフレットのような掲載利用が前提のときは、ページのイメージの解像度を高くして、ここにどういった写真を当てはめるが考えてから撮影に行ったほうがいい。適当に多くの写真を撮って、後からセレクトするという方法だとだいたい必要な写真が足りなかったりする。
外部のカメラマンに撮ってもらう場合も、ディレクションしてこういった写真を撮ってほしいと伝えないと、まかせただけで必要十分な写真を撮ってくれたりはしないのである。
 
ということで、少しでも後から使う可能性のある写真は、その使用場面を意識して写真を撮っておく必要がある、という話でした。

ホテルレビュー「OMO7大阪by星野リゾート」

昨日に引き続き、ホテルネタ。
出張で大阪に来ているのだが、今回は星野リゾートのOMO7大阪に宿泊。
ビジネスホテルではないのだが、前泊で時間があるのと、宿泊料金もそこまで高くなかったのでチョイスしてみた。
 
星野リゾートは新婚旅行で軽井沢の星のやに行って以来、いろいろと巡っている。
接客についてはたしかにすばらしいとは思うが、それよりもどこに行っても世界観のつくりこみがすごいなと感じており、これまでいくつか宿泊してきた。
どこもコンセプトがしっかりしており、それを維持することの大切さと大変さと感じている。
 
その星野リゾートの中でもOMOブランドは、星のやや界といった温泉旅館ではなく、都市型ホテル。加えて、OMOの後についている番号は、サービスのレベルのようなものを指しており、大阪のOMO7はフルサービスのホテルとのこと。
新今宮という大阪でもディープな立地に建てられたホテルということで、開業前から話題になっていて気になっていたのだが、今回はじめて訪れることができた。
 
星野リゾートに来ると毎度感心するのがその世界観なのだが、何がそれをつくっているのか、私なりに考えてみたところ、高低差、余白、ライティングのうまさにあるのではないかと感じた。
 
1つめの高低差について。
これまでいくつかの星野リゾートの施設を訪れてきたが、立地や高低差と活かした空間づくりがうまい。
このOMO7大阪も新今宮の駅から見て徐々に高くなっていて、その高いほうに宿泊棟がある。ロビーやレストランあるフロアが2階になっていて、そこまで傾斜があるつくりになっている。
もともと傾斜があったの、あえてつけたのかはわからないが、その傾斜に異なるタイプの机やいす、ソファがならべられており、そこでくつろぐことができる設計。高低差をうまくつかって、日常を忘れることができるスペースをつくりだしている。
 
2つめの余白について。
OMO7大阪でいえば、宿泊棟までの傾斜に芝生の広場がつくられている。ここなんて、何かつくってしまいたい衝動に駆られそうだが、あえてそうしていないのがわかる。
昨年行った由布院の界では、田んぼが広がっており、ここに宿泊棟でも建てればより多くの宿泊者を集めることができるだろうが、こちらもあえてそうしていない。
一見、無駄というか贅沢というか、そういった余白になる空間を設けることで、なんとも言えない世界観をつくりだしている。
 
3つめがライティング。
どの星野リゾートの施設でもちょっと暗めのライティング。これはおそらく2つの効果があると思われる。1つが幻想的な雰囲気をつくることができること。もう1つが、気をつけないと転んでしまいそうな、ちょっとした緊張感を生み出す効果。カップルであっても、子連れのファミリーであっても、ちょっと距離が縮まるようなそんな演出をライティングがしているように感じる。
 
そんなこんなで、今回のOMO7大阪も世界観のつくりこみがさすがと感じた。
大学のときに受講した授業で、佐藤雅彦氏がトーン(世界観)が大事というメッセージを発していたが、まさにそれを実感する。
いざ、自分がその世界観をどうつくるかとなると非常に難しいのだが、こうやってたまには自分がいいと思う世界観に浸って、何かを吸収をしたいと思う。
 
ということで、OMO7大阪は、さすが星野リゾートという空間を提供していた、という話でした。

ドーミーインの思い出

先週のアメトーークで「ドーミーイン芸人」をやっていていて、先日私はTVerでそれを見た。
内容は面白かったのだが、それ以上に、これで当分ドーミーインには泊まれないだろうなと思った。
昨今のホテルの値上げで、ドーミーインはだいたい1泊15,000円くらいしてすでになかなか泊まれないホテルになっていたのだが、これに追い打ちをかけてさらに泊まれなくなると思ったわけである。
 
さて、私自身もかなりのドーミーインマニアを自認しているのだが、今回せっかくなので、私もいつごろから、どのくらい種類のドーミーインを利用していたのか調べてみた。
わかる範囲で2012年の東京八丁堀のドーミーインに泊まったのが最初。そして、ドーミーインブランドだけでなく、野乃やラビスタも含めると、19箇所のホテルに泊まったことがあった。何泊したかまで数えきらなかったのだが、相当利用したのは間違いない。
 
そんなドーミーイン大好きビジネスマンの私が、ドーミーインを選ぶ理由を考えたみたところ、3つが思い浮かんだ。
1つめにして、これが最大の理由だが、やはり大浴場の充実度。
2009年に地元に戻ったころあたりから、30を過ぎたこともあって、大浴場の良さに気づき始めていた。加えて、出張に出る機会も多くなり、そこから自分で予約する場合はまず間違いなく、大浴場のあるホテルを選んでいる。そして、その筆頭がドーミーインというわけである。
さらに、ここ数年はサウナがマイブームになったこともあり、ほぼすべてのホテルでサウナがあるドーミーインを選ぶ機会は多くなっていた。
 
2つめは、必要十分な広さと過ごしやすい部屋。
ドーミーインではほぼほぼすべての部屋がトイレとシャワールームが分離されており、さらに洗面所がその外についているものが多い。
今回改めて考えてみたが、トイレと風呂(シャワールーム)が別というよりも、トイレと洗面と別なのがいいのかもしれない。加えて、食事やちょっとした仕事をするくらいのスペースもあり、必要十分な広さで快適に過ごせるという印象がある。
 
3つめは、リーズナブルな価格。
アメトーークでも紹介されていたように、夜鳴きそばや朝食の充実度もあるのだが、個人的には利用しないことも多く、そこまで重要視していない。ただ、これらも含めて、他のビジネスホテルに比べて充実したサービスにも関わらず、リーズナブルな価格であるというのが、ドーミーインの魅力であった。コロナ前くらいまでは(そしてコロナ禍も)朝食付きでも10,000円を切る価格で泊まることができた。
しかし、これは冒頭にも書いたように、コロナが明けや物価の高騰もあって価格が上昇。仕方ないとは思うが、なかなか泊まれないホテルになってきた。調べてみると、2023年もそこそこ出張に出ていたのに、ドーミーインに泊まったのは2回だけだった(系列のラビスタは3回泊まっていたけど)。
そして、今回のアメトーークで追い打ちをかけるのは間違いないだろう。
 
そんな感じで、ドーミーイン大好きビジネスマンだったが、今後は宿泊する回数が減るんだろうなと思った次第。次ドーミーインに泊まるのはいつになるのだろうか。

新幹線エクスプレス予約運賃問題

今週は出張に出る予定があって、大阪・名古屋に行く予定にしている。
ここ数年、1月は東京に、2月は大阪・名古屋をまわって、取引先に新年の挨拶に行くのが定例となっている。
2月に新年の挨拶というとだいぶ遅い気もするし、結果的に業界の賀詞交歓会などで先に挨拶をすることになり、4月には人事異動があるのでまた改めてご挨拶となるのだが、接触頻度が高いことは悪いことではないので、いい機会だと思ってご挨拶に伺うようにしている。
 
ということで、今回は大阪・名古屋をまわる予定なのだが、こういった複数地域に行くときに問題なるのが、EX予約の運賃とe特急券の運賃の比較。
東海道・山陽新幹線では、エクスプレス予約という特急券の予約サービスがあるのだが、このサービスでは主に2つの種類のチケットを予約できる。
1つは乗車券と特急券の両方がいっしょになっているEX予約、もう1つは特急券だけを予約できるe特急券がある。
 
EX予約はチケットレスICカードSuicaなどので乗車することができるのに対して、e特急券は発券する必要があり乗車券とあわせて利用することになる。
ただ、一般的には、EX予約よりも乗車券+e特急券のほうが安く、さらに今回のように複数地域に行くときは、乗車券は途中下車可能なので、乗車券+e特急券のほうがかなり割安になる可能性がある。
要するに、EX予約のほうがチケットレスで便利なのに対して、e特急券だと紙のチケットを発券する必要があるが割安ということになる。
 
で、今回の出張。
e特急券のほうが割安なのはわかっていたのだが、最近エクスプレス予約の運賃が改定になったこともあり、どのくらい割安になるのか気になった。
EX予約のほうがチケットレスで紙のチケットの管理をしなくていいのでこちらにしたいのだが、それでも価格差が大きいのであればe特急券のほうがいいと思い、改定後の料金を確認して比較してみた。
すると、EX予約のほうが3,000円弱高いということがわかった。チケットレスの恩恵を受けることができるコストとして3,000円弱が妥当なのかどうか、しばし思案してみたのだが、今回はチケットレスのEX予約のほうを選択することにした。
先日購入したApple Watchで改札を通過できるメリットがどのくらいあるかを確認してみたいのと、紙のチケットの発券・管理が面倒くささを考慮したことが選択の理由である。
 
正直、自分のこういった細かいことが気になる性格もどうかと思ったりするが、こればかりは仕方ないか。
これは少しでも節約したいというケチな気持ちもなくはないが、それ以上に全体感を把握して意思決定したいという気持ちが大きい。数千円単位なので、無視すればいいのだが、一度把握しておけば、スッキリ意思決定ができる。
もっといえば、意思決定が必要な場面では、こういった簡単なコスト比較ができれば、自ずと選択できる場面が多い。比較をしないでどっちにしようか無駄に迷うくらいなら、さっさとコストやメリット/デメリットを比較したほうが早かったりするので、調べる労力がそんなにかからないのであれば、その労力を惜しまずに比較するクセをつけたほうがいいかもしれないと再確認した次第である。
 
ということで、迷ったら選択肢の比較をしたほうがいい、という話でした。

YouTubeやPrime Videoでは背伸びしたコンテンツを見る機会がなくなる

うちは、現在小学2年生の娘と3歳半息子がいるのだが、2人ともテレビを見たがらない。
ここでいうテレビとは、テレビという箱(最近では箱という感じでもないが)ではなく、テレビ局が制作するコンテンツのことを指している。
テレビという機器を使って、YouTubeAmazonのPrime Videoを見るのが当たり前になっている、と言いたいわけである。
 
朝はさすがにこういったコンテンツを見せることはないのだが、夜の寝るまでに時間などは、おとなしくしてくれることもあって、ついついYouTubeやPrime Videoを頼ってしまうのが現状。
子どもたちは、テレビ局の制作の番組には目もくれずに、ポケモンなどの好きなコンテンツにアクセスしている。
そんな感じなので、私も最近のテレビ番組には疎い。一部どうしても見たい番組はTVerで見ているが、他の番組がどの曜日のどの時間にやっているのかよくわからない。
 
私が子ども時代から考えると、コンテンツは溢れかえっていて、うらやましいなと思ったりするのだが、一方で偶然面白いコンテンツを見つけるという機会が減ってしまっているようにも感じる。
もしかすると、その時間に、興味深い番組が放送されているかもしれないが、すぐにPrime Videoのコンテンツにアクセスしてしまうので、そういう番組に出会う機会がない。
見るものは、既存の好きなものに偏ってしまっていて、偶然の出会いやちょっと背伸びしたコンテンツに行き当たる可能性がかなり低くなってしまっている。
 
これは一概に悪いこととも言えないが、親としてはなんとなくこれでいいのかなと思ったりする。
ちょっと背伸びしたようなコンテンツや、新しい世界を垣間見えるようなコンテンツには出会う可能性が低くなってしまうことが、子どもの成長にとってわずかながらでも影響してしまうのではないかと心配になっている。
そんな大げさなことではないかもしれないが、ちょっと気になっている今日このごろである。
 
ただ、だからといって、強引にテレビ番組を見させるのも正直面倒くさいし、素直に従うとも思えない。また、上の娘はそろそろ学校の同級生たちとテレビ番組や音楽の話などもしだすだろうから、そのときにどう変わっていくのか、ちょっと見守りたいと思っている。
 
ということで、ウェブにある無数の動画コンテンツにアクセスできることは、新たな世界を見る機会を奪っている可能性があるのではないか、という話でした。