授業参観と議論のスタイル

昨日のこのブログで、娘(小学2年生)の授業参観に行ってきた、ということを書いた。
みんな親の前でいいところ見せたいのか、先生が問いを投げかけると、多くの子どもたちが手をあげて、自分が答えるとアピールしていた。
そんな子どもたちの姿を見て、自分が子どものころを思い出した。
 
私は自分で言うのもなんだが、勉強はできたほうで、よく手をあげるタイプの子どもだった。
自分がわかっていることをアピールしたいという気持ちは強く、中学になっても率先して手をあげて発表していたくらい(さすがに高校にもなるとやらなくなったが)。
 
ご多分に漏れず、授業参観ではとくに張り切って手をあげるのだが、日ごろよく手をあげるタイプの私はなかなか当たらない。先生としても、授業参観だからできるだけ多くの子どもたちに発表させたいという気持ちが働くだろうから、私が手をあげてアピールしても当ててはもらえないのである。
 
そこで私は考えたのだが、どうせみんながわかるような問題では当ててもらえないので、そういうところでは手をあげず、ちょっと難しくて自分くらいにしかわからないであろう問題のときに手をあげて当ててもらおうと考え出す。
誰も手をあげていない中で、自分だけがあげていれば、さすがに先生も当てないわけにはいかないので、そこで指名してもらい、答えてご満悦に浸るという、自分で思い出してもかわいくない子どもだった。
 
娘の授業参観で、そんな小学生・中学生だったことを思い出したわけだが、あわせて、それが影響して、大人になってからもこういうスタイルが身についてしまっていることに気づいた。
どういうことかというと、最初誰でも気づくようなところでは意見せずに、しばらく議論を聞いてから、ここぞというところでキレがある(と自分が思っている)意見を繰り出すのである。
就職活動のディスカッションの選考のときなどはいつもこのスタイルで、決まればだいたい通っていたのだが、時間切れなどで自分の意見が言えずに終わってしまうというリスクも抱えていた。
 
自分でもちょっといやらしい議論のスタイルだなと思っていたのだが、先日娘の授業参観に出て、これは子どものころからやり方だったんだなと気づき、三つ子の魂百までではないが、今さら変えることは難しいんだろうなと気づいた次第である。
 
ということで、子どものころの身につけて思考や行動のスタイルは変わらない、という話でした。