昨日のこのブログの記事で、病院や学校の育児に関わるイベントは、時間が読めないことが多く、仕事をもっている父親は参加がしにくいということを書いた。
もちろん、1日休みを取ったりすれば問題ないのだが、それでも時間が読めないというのはストレスになるだろうなと思う。
では、なぜ時間が読みにくいのだろうか。
その理由は、こういうことを言うと怒られそうだが、女性コミュニティの特徴が出ているのではないかと思う。
病院も学校も関わる人は女性が多い。
病院はいわゆる先生(医師)は男性も多いが、看護師は女性が大半、小児科であれば親はほとんどお母さんが付き添いである。
学校も比較的女性が多い職場だし、保護者会などはトップは男性でも、それ以外は女性ということが多い。
育児にまつわる組織やコミュニティは女性中心のことが多い。
進化生物学の観点から見たとき、太古の昔からの役割分担は、オスは食糧を確保し、メスは子どもを守る、だったから、どうしても男性・女性の両性の考え方は異なる。
男性は一瞬の判断ミスが命取りになる確率が高いから合目的的になるし、女性はコミュニティの和を守るために共感的になる。大雑把だが、こういう区分になる。
女性中心のコミュニティであれば、どうしても合目的的にやるよりは、共感を得る方向に流れてしまうのである。
だから、病院や学校に関わるコミュニティでは、時間通りキッチリやって、目的に沿って意思決定をしたりオペレーションを遂行する、とはなりづらいと思っている。
どちらかというとあいまいなまま事を進めるがちとなり、そこに合目的的に考えてしまう男性が入ってしまうとハレーションを起こしてしまうことになる。
昨日のブログの記事で、ワクチン接種や学校の個人面談で時間があいまいだったということが書いたが、おそらく(多くの)女性にとってはそれで問題ないし、むしろガチガチでないほうが気持ちがいいのだと思う。
それは時間に余裕があるということだけでなく、両性の脳のしくみが異なることも要因としてあるのではないかと思ったりする。
もちろんこれはすべての女性に当てはまる話ではなく、働いているお母さんから話を聞くと、幼稚園の保護者会では雑談が多く、ものごとがなかなか決まらないからイライラすることがあるとのことだった。仕事をしている人からすると、時間の感覚もビジネス的になってくるので、ここでいう女性コミュニティとの相性はよくないだろう。
と、こんな感じで、男性ももっと育児イベントには参加すべきだとは思うが、時間に対する考え方が異なるため、思ったより簡単ではないだろうなと思った次第である。
ということで、男性と女性では脳の構造が違う、という話でした。