水族館という感覚の世界に浸れる空間

先日、ちょっと時間が空いたので、海遊館に行ってきた。
言わずとしれた有名な水族館であるが、私は中学生のときに修学旅行で行って以来で、約30年ぶりである。
当時は、とにかく建築物としてすごいなと思ったのを覚えていて、中にいる魚よりこの建物はどういう構造になっているのか不思議に思ったものだった。
というわけで、2400円という安くない入場料を支払って入ってみた。
 
さて、さっそく入ってみての感想だが、率直にめちゃくちゃよかった。何がよかったかといえば、感覚の世界に浸れるということである。
 
この感覚の世界とは、ドラマ「サ道2021」で、「なぜサウナに入ると雑念が消えるのか」という問いに対して、「思考から感覚の世界に切り替わるから」「余計なことを考えることが消え、今この瞬間に気持ちがフォーカスされる」と答えるシーンがあるのだが、ここからの引用である。
海遊館という水族館を回ってみて、このサウナに入ったときと同じような、感覚の世界に浸れたというわけである。
 
なぜ、水族館では感覚の世界に入ることができたのだろうか。
理由は3つあると感じた。
 
1つは、魚それ自体の動き。
これまであまり意識してこなかったがのだが、改めて魚1匹ずつに注目すると、なめらかなでしなやかな動きをしていることに気づかされる。宙を浮いているような浮遊感も相まって、何とも言えない癒やしになる。
また、集団に注目すると、群れをなして規則的に動く姿に心奪われる。無数の魚が集団で規則的な泳ぐ幻想美を鑑賞することができる。
1匹にズームしても、集団として引きの視点でみたときも、それぞれで何も考えずにひたすら見続けることができることに気がついた。
それでいて、いきなり鳴きだしたり、想定外の動きをすることがない。これが動物園であればそうもいかない。いきなり思っても見なかった鳴き声を発したり、動きをしたりしてビックリすることがあるが、水族館ではそれがほとんどないのも、大きな要因かもしれない。
 
2つ目は、水のもつ不思議な感覚。
水族館なので、基本どこも水なのだが、この水のゆらゆらした感じと、青の中に白い光が入ってくるという色づかい、なんとも表現が難しいのだが、水のもつ特徴が感覚の世界に誘ってくれているように感じた。
水の色とゆらぎに、それに魚の動きとが相まって不思議な空間をつくっている。
 
最後3つ目は、水の中に入っているような建物の構造。
海遊館では、建物の構造上、水の中で魚が泳いでいるのを見ているような感覚になる。水槽を外から眺めるという感じではなく、中で鑑賞しているような没入感があるのである。内と外という切り分けがなく、眺めることができるのは、感覚の世界に入りやすい構造になっていると感じた。
もしそうだとすると、どの水族館でも感覚の世界に浸れるわけではなく、海遊館だけの特徴なのかもしれない。
今度他の水族館に行ったときに確認してみてみたいと思う。
 
加えて、今回は私一人だったことも大きいかもしれない。これが子どもといっしょだとこうはならなかっただろう。まわりに気を遣わなくてもいいというのは、感覚の世界に入る必須条件である。
 
以上、こんなことを海遊館に行って思った次第である。
 
私自身、これまで感覚の世界に浸れる方法としてサウナと焚き火があると思っていたのだが、今回新たに水族館(海遊館だけかもしれないが)が加わった。
他にもこういった感覚の世界に入れるものがないか、探してみたいと思う。
 
ということで、年に1回くらい時間を見つけて、感覚の世界に浸るために海遊館に行きたいと思った、という話でした。