キャンプで思い知る、仕事上での自分の欠点

この週末娘(5歳)と二人でキャンプに行ってきた。
 
キャンプをはじめてもう少しで2年になるが、いっこうに上達しない。キャンプに上達なんて概念はないのではと思われるかもしれないが、設営・撤収の手際だとか、キャンプサイトのレイアウトや見栄えとか、料理の段取りとかいろいろとあって、そのどれもがイマイチなままなのである。
 
そんなキャンプ10級の私だが、新しい道具などにも頼ったおかげもあり、今回のキャンプは珍しく時間に余裕を持ちながら進めることができた。
 
しかし、順調だったのは、食事の時間まで。そこからの時間はいつも同じ、いやいつも以上に苦戦することになる。
 
食事までに調理道具や食材は準備し、ランタンもセットし終わっていたので、すぐに食事の準備に取りかかることができた。
まずはごはん(米)の準備ということで、お湯を入れるだけのレトルトごはんを取り出す。お湯を沸かして、レトルトごはんに入れて15分待つ。ここまでは問題ない。
 
そこからが問題である。
餃子を焼く、焚き火に火をつける、という2つの作業をしなければならなかったのだが、焚き火のほうが先だろうとこちらにとりかかる。
焚き火用の薪はキャンプ場で買った太めの薪。着火剤もあるので、どうにかなるだろうと、小枝と枯れ葉を用意して、着火剤に火をつける。
すると、燃えだしたので、そこに薪も投入。これで一安心と、餃子に取りかかる。
 
フライパンをバーナーで熱し、油を入れて、餃子をフライパンに並べる。焦げ目がついたところで、水を入れて蒸し焼きにする。
あとは焼けるのを待つだけ、と思っていたら、焚き火の火が消えそうになっている。
着火剤から小枝や枯れ葉には火はついたのだが、そこから薪に火がまわらないのである。
仕方ないので、着火剤(2つ目)を投入。これでどうにか薪にも火がついてくれるだろう、とフライパンに戻る。
 
すると、餃子は焦げる直前で、ギリギリセーフ。それを取り出して、2ラウンド目を焼き始める。
すると、焚き火は薪に火はつくのだが、表面だけちょっと火がついて、そしてそこから燃え広からずに小康状態になってしまうのである。
火吹き棒なる、空気を送る細い棒で、ふーふーやるのと一瞬火はぱっとつくのだが、それも持続しない。
フライパンで餃子焼いたり、火吹き棒で焚き火の世話をしたりと、行ったり来たりである。
 
結局焚き火の火は安定せず、残っている着火剤はあと1つ。
火吹き棒で空気を送りながら、料理をしていたのでは、どちらも中途半端になってしまう。ここは肚をくくって焚き火に取り組まないと火がつかないままで終わってしまうと判断し、料理の手と火を止めて、焚き火に取り組むことにした。
 
買ったままの薪は大きくて、体積あたりの表面積が小さく、なかなか中まで燃えてくれないので、今さらながら、バドニングというナイフで薪を小分けにする作業をする。
本当は事前にやっておけばよかったのだが、これまで少々薪が大きくてもどうにか燃やすことができていたので、どうにかなるだろうとたかをくくっていた。
ただ、ここまでくるとどうにもならないということで、薪を小分けにする作業をはじめ、料理はそっちのけで焚き火の世話をすることになったのである。
 
結果、どうにか火はついたのだが、なかなか安定せず、最後まで見守り続けないと消えてしまいそうなまま夜は更けていった。
 
今回の経験を経て、キャンプは仕事に通ずるところが多いな、と実感した。差し当たり思い浮かんだことが2つ。
 
1つは、私自身マルチタスクがほんとにできない人種であると再確認したこと。
上記に加え、途中で娘が寒いといいだして、その対応にも右往左往した。今焚き火に集中しているから待ってくれ、と言いかけたが、キャンプで風邪をひいたら元も子もないし、何より楽しむために来ているのに、娘が寒いままではよくないと思い直し、着替えさせることにした。
こんな感じでマルチタスクが苦手で、1つのことをしだすと視野が狭くなり、俯瞰的にものごとが見えなくなる自分の性質を再認識させられることになった。
 
もう1つは準備が大事、というこれまた当たり前のことを痛感したこと。
仕事でも、準備が甘くてこのくらいでもいいかと見切り発車すると、たいてい途中で頓挫する。
すると、自分のリソースをそこに割かなければならなくなるので、全体のバランスが悪くなる。
バランスが悪くなるので、問題がなかったと思っていた他の部分にも問題が発生し…、と悪いサイクルに突入してしまうのである。
しっかり準備をして取り組む、という当たり前のことの大切さが身にしみてわかった。
 
そんなこんなで、休日のやすらぎを求めてキャンプに行ったのだが、自分の仕事のできなさを再確認させられる羽目になってしまった、という話でした。