「子育ては人生最大の娯楽である」というリフレーミング

私の娘は今4歳半。30代後半での子どもということもあってか、本当にかわいい。目に入れても痛くないというやつである。
しかしながら、ここまでたどり着くには、紆余曲折があった。
それは娘と、というより、妻とである。
 
私たちは、いわゆるできちゃった結婚で、子どもができたから結婚しようということなった。
ただ、もともと子どもができたら結婚しようという話はしていたので、妊娠がわかったときは(ちょっと戸惑いもあったけど)うれしかったし、ある意味予定通りであった。
30代後半の私は、地元の某団体に所属していて、会社の仕事に加え、その団体の行事等で土日平日関係なく、帰りが遅い日が続いていたのだが、当時まだ付き合っていた妻には、あまり時間が取れないことは伝えてあり、逆にそれであれば子どももいたほうがさびしくないだろうということで、子どもができたら結婚しようという話をしていた。
 
その後、出産。
他の家庭でもそうなのだろうが、妻にとって育児は想定以上だったようで、かなり疲弊していたし、毎日機嫌が悪かった。
こっちが仕事で出ているときに、妻から「なんでこんなことしないといけないんだ」的なLINEが入ってきて、こっちまでイライラしてきたことも多々あった。
私としても、忙しいは忙しいなりに、できることはしてきた(つもりだ)。
仕事から帰ると、その後の会食の前に、娘を連れて散歩に出る。その時間、短時間だが、妻は休める。
夜中に娘が起きたら、私はすぐに目を覚まして、娘をあやす。このころは、ちょっとした泣き声に反応して目が覚めていた。
土日、家にいるときは、娘と二人でドライブに出て、温泉に行ったり、キャンプに行ったりしてきた。
とまあ、妻には休んでほしい、一人の時間をつくってあげたい、という想いが半分。機嫌が悪いとやってられない、という想いが半分で、自分なりに育児に参加してきた。
 
余談だが、私の父は、私と同じく経営者で、地元の団体活動などもしていたこともあり、育児はほとんどといっていいほど、母任せであった。
そんな家庭に育ったので、はっきりと意識していたわけではないが、私もあまり育児には参加しないんだろうなと思っていた。
だが、その予想に反して、結果としてガッツリ育児参加することになった。
毎年、イクメンオブ・ザ・イヤー(なんてものがあるのであれば)にノミネートされるべきと思っている。
 
とこんな感じで、自分が思っていた以上に育児に関わってきたつもりだが、そんなあるときどこかで「子育ては人生最大の娯楽である」という言葉を目にした。
日々の育児は大変だけど、長期的にトータルで見ればこれほど楽しいことはないと。
この言葉を聞いて、私はハッとした。
娘は言うこときかないし、それで妻は機嫌は悪いし、育児ってほんと大変だなと思うばかりで、日々の生活では腹が立って仕方がないことも多かったし、気持ちを切り替えることができなかったが、この言葉に出会ってからは、育児に絶望することがなくなった。今でも自分が不機嫌になることがあったら、思い出すようにしている。
 
これはいわゆる「リフレーミング」というやつである。違うフレームで見ることによって、同じものが全く違って見えるのである。
育児という日々大変なことも、ちょっとそのフレームを広げてみると、娯楽に見える。
 
もし妻が、私がもともと想定していたとおりに育児をしていたら、私はここまで娘と関わりがなかったんだろうな、と思う。
そしてそのことは、嫌味ではなく、心からよかったと思っている。
まだ小さいころの娘と多くの時間を共有できたことは、私の大事な宝物だ。
 
そう考えると、子どもの結婚式というのは、ある意味この娯楽のクライマックスとも言える。
私は妻が再婚ということもあり、また自分自身も面倒だと思ったので、結婚式をやらなかったのだが、この文脈から考えると両親には少し申し訳ないことをしたなと思う。
長い長い娯楽の一つの区切りであり、クライマックス、それをやってあげれなかったことを、今さらちょっと後悔しているのだが、妹と弟がやったから、まあこれはこれでいいということにしよう。
 
ということで、違った視点から見ると、同じものが全く別のもののように見えるという話でした。