新型コロナウイルスをめぐる論争ではしばしば、集団免疫派(自粛中止派)と抑え込み派(自粛継続派)とで議論が分かれている。
そんな中、抑え込み派の筆頭格、藤沢数希さんがこんなツイートをしていた。
ヒントは、新コロ感染者数を医療崩壊しないギリギリにキープするより、ゼロ付近に張り付ける方が楽なの。なんで楽か考えるのは宿題。来週のメルマガに答えを書くわ。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2020年4月21日
このツイートを見て、どこかで見たことからある話だな、と思ったが、すぐにその話を思い出した。
『欠乏の行動経済学 いつも「時間がない」あなたに』にある、インドの露天商の話である。ちょっと長くなるが、この話を要約してみる。
『欠乏の行動経済学 いつも「時間がない」あなたに』第6章「欠乏の罠」より(以下、要約)インドの露天商の話インドのチェンナイにある市場の露天商のビジネスモデルは、朝に1,000ルピー(20ドル)の品を仕入れて、1日でおよそ1,100ルピーを売り、100ルピー(2ドル)の粗利益を得る。大部分の露天商は仕入れのためにお金を借りるがこの金利が平均5%/日。つまり1,000ルピーを借りて、50ルピーの金利を払うことになるので、粗利の半分が金利の支払いに消えてしまう。借金を返済して以降は、金利の支払いがなくなるため、1日の収入は倍増する。それになのに、典型的な露天商はそれをせず、平均で9.6年間借金をしている。これに対して、著者らは、何百人という露天商に対して、半数は借金を肩代わりして、残りの半数はそのままで、1年間追跡して経済状況を記録した。すると、最初の数ヶ月は、借金のなくなった露天商は借金の罠に逆戻りしなかったが、さらにその後の数ヶ月で、1人ずつ逆戻りし、1年の終わりまでに、借金を肩代わりしてもらった露天商全員が、放っておかれた残り半数の露天商と同じ額の借金をためることになっていた。その原因は、ギリギリの生活をしている中で、親戚の結婚式が開かれて贈り物を買わなければならないといったようなときに、今手元にある現金で贈り物を買って、露天商の運転資金は借りてしまったことにあり、その結果借金生活に逆戻りするというわけであった。著者は、問題の核心はスラックがないことであると指摘する。「スラック」とは本来はたるみやゆるみを指す言葉で、ここでは余裕と読みかえるといいだろう。このスラックがないために、突発的な出来事に対応できず、すぐさま借金生活に逆戻りしてしまうとしている。では、どれだけのスラックをもっておけばいいかというと、平均的な売上や支出額に対応できるだけの資源を持っているだけではだめで、いつなんどき現れるかもしれない大きなショックに対処するのに十分なスラックをもっておかないといけない、と著者はまとめている。(要約終わり)
ここで言いたいことは、まず、売上も支出も一定ではなく、サイコロの目の出方のように日々変わって、バラつきがあるということである。売上が悪いときに突発的な支出があるなど、悪い目が続けざまに出てしまえば、借金に逆戻りになってしまうのである。
そして、この悪い目が続くという現象は、1年という長いスパンで見れば、数回は必ず起こることであり、必ず起こるということは、必ず借金生活に戻ってしまうことを意味するというのである。
では、どうすればよかったのか?
それは、現実的かどうかさておき、借金の肩代わりをするだけではなく、こうした売上や支出のバラつきにも余裕をもって対応できるだけの現金をもたないといけなかったのである。
もちろん起こりうるすべての可能性を考慮して現金を準備するとなると、天文学的な数字となり現実的ではないが、想像の範囲内で起こりうる売上のバラつきと突発的な支出に対応できるくらいの現金をもってスタートしなければ、遅かれ早かれ借金生活に戻ってしまうということである。
売上や支出の平均分の余裕ではなく、バラつきを考慮した分の余裕を持っておく必要がある、というのがこの話のミソである。
前置きが長くなったが、ここからが本題。
この露天商での実験で起きた現象が、新型コロナウイルスの問題にどう当てはまるのだろうか。
Twitterの議論を見ていても、医療インフラを守ることが大事である、ということに反対する人は(少なくとも私が見た範囲では)いない。
だが、ここから先が意見が分かれる。
現在医療インフラが保たれているのだから経済活動を再開すべしという意見と、医療インフラを守るために感染者数をなるべく減らすことが重要である(だから緊急事態宣言解除は早い)という意見に分かれている。
では、進むべき道はどちらなのだろうか。
私は後者の立場を取る。
このキャパシティを超えてしまうと、医療崩壊という借金生活に入ってしまい、その借金は死者という形で増大してしまう。また、通常なら助かる命も助からなくなってしまう。
露天商の例と同様に、この問題においても、平均ではなくバラつきを考慮しないといけない、そしてそのバラつきに対応できるだけの十分な余裕をもっておかなければならないと考える。
ここで言うバラつきを考慮しないといけないのは、感染者数にあたる。すでに世界中で経験したように、この感染は放っておくと指数関数的に増える可能性がある。バラつきの幅が大きいのである。
そして、その指数関数的な増加に対応できるように、医療インフラのキャパシティに余裕をもたせておかなくには、まず感染者数を大きく減らすことが重要になってくるというわけである。
どの程度まで減らせばいいのか私にはわからないが、とりあえず今の数では危ないし、GWの影響がどうなるかわからない中、もう少し自粛も継続せざるを得ないであろう考える次第である。
そして、いったん感染者数が減ってしまえば、外からの侵入をシャットアウトするという前提で、初期のようにクラスターを潰していくということになるだろう。
ただ、このあたりの感覚が理解できると、緊急事態宣言も、またその延長も、少しは納得できるのではないだろうか。
ちなみに、この話は、「ザ・ゴール」でも有名なTOC(Theory of Constraints/制約条件の理論)にも通じるところがあって、生産活動において受注量や生産量などさまざまなバラつきが出てくるので、バッファ(上記のスラックと同じような概念)を持っておく必要があると説いている。TOCでは、バッファの種類とし、キャパシティ、時間、在庫の3つがあるとして、それぞれ「ザ・ゴール」「クリティカルチェーン」「ザ・クリスタルボール」で紹介されている。
ということで、もう少し我慢する必要があるのではないか、という話でした。
もちろん、我慢の仕方はいろいろと検討されるべきで、不必要な我慢も多くあるとは思いますが、後から見れば、ここで解除せず、延長してよかった、となるかと思っています。
(追記)
上記内容において、新型コロナウイルスにおける「感染者数」を、露天商の売上や支出と同様にバラつくものとして対比させていますが、正確には露天商の貯金額(もしくは借金額)に該当します。感染者数が医療キャパシティに比べて少なければ貯金、多ければ借金と考えていただければと思います。
また、露天商の売上や支出と同様にバラつくものとしては、新型コロナウイルスにおいては、「人々の行動」とするのが正確な対比になるかと思います。
趣旨は変わらないので内容の変更はしませんが、違和感もたれた方は、適宜変換いただければ幸いです。