妻が第二子となる息子を出産して約2週間。
退院、里帰りを経て、帰ってくる。
一人目の上の娘が小さいのときは(今もまだ小さいが)、とにかく妻の機嫌が悪くて、会社から帰るときおそるおそる家のドアを開けたのを今でも思い出す。
当時は、夜の会合も多く、家にいないことが多かったということもあり、妻の私に対する当たりはかなり強かった。
今思えば、一人目で不安なところに私もいないということで、いろいろと大変だったとは思うのだが、それにしてもあまりいい思い出がない。
ということで、二人目の今回は、そういった不安や不満を、できるだけ事前に回避できるよう、私ができることを準備しておこうと思っている。
作戦は2つある。
1つは役割分担をある程度明確にして、私ができることはできるだけ私がやるということ。
もう1つが、首がすわる、寝返りをうつ、ハイハイする、歩き出すなどのポイントで、私がサポートできることが増えていくので、それを示してあげる、ということである。
1つ目については、今回産まれた下の子を面倒を、現時点では私が見ることはほとんどできないので、上の娘(もうすぐ5歳)の面倒は基本的に私が見るということで役割分担したいと思っている。
朝の身支度、幼稚園の送り迎え、帰ってから片付けや風呂、娘に関することは基本私がやるつもりでいる。
そうすれば、妻は下の息子に集中でき、寝る時間もある程度は確保できるのではないかと考えている。寝る時間が確保できれば、ある程度は機嫌よくいてくれるのでないかと期待しているのだが…。
2つ目の、マイルストーンを示してあげることについて。
育児が難しいのは、今ある大変さが今後ずっと続くのではないかという錯覚という囚われることにある、と感じている。
夜泣きもどこかで収まるはずなのだが、その渦中にいると、これがずっと続くのでないかと感じてしまう。
ゴールのないマラソンを走らされているような気分になってしまうのである。
なので、一旦のゴールがこの辺にあるよ、と示してあげることでその不安が少しでも解消できればと思っている。
とりあえず首がすわってくれば、例えば私が息子を連れ出して散歩なんかすることもできるようになり、そうすれば束の間だが、妻の一人だけの時間をつくることもできる。
ということで、ここからが本題なのだが、上の娘のときはどのくらいの時期から散歩に出かけたかな、と昔の写真を確認してみた。
すると、だいたい5ヶ月目くらいから、散歩に出かけたり、ドライブに出かけたりしていた。
11月産まれだったので、春先くらいからはよく二人で出かけていたのを確認できた。
それで目的は達成できたのだが、つられてそのころの写真を一通り見ていると、どれも楽しそうな写真ばかりであることに少し驚いた。
上述のとおり、上の娘が産まれてから2歳になるくらいまで、妻の機嫌は常時悪く、いつもヒヤヒヤ、ドキドキしていたのだが、娘は当然のこと、妻含めて、みんな機嫌よく写真に写っているのである。
はじめて娘を連れて旅行に行ったときも、終始妻の機嫌が悪かったことくらいしか記憶にないのだが、写真では楽しそうにしているのである。
よく考えれば、これは当たり前のことである。
妻の機嫌が悪いときにカメラを向けたりしないし、自分の機嫌が悪いときに写真を撮ろうとしないからである。
記憶というのは強い印象が刻み込まれるのに対して、写真は基本的に楽しい時間だけが記録されている。
そう考えると、写真という記録媒体は、幸せの記録の集合といえるのではないだろうか。
一方で、テキストという記録媒体は、いろいろな感情を表現できる。
娘が産まれたばかりのころ、私は日記を書いていなかったが、もし書いていたら今ぜひ読み返したい。当時何を考えていたのか、今読めばかなり役立つと思う。
写真を通じて幸せを記録しておくのとあわせて、日記やブログを通じて、そのときに行ったことや感じたこと考えたことも残しておきたい、そう改めて思った。
ということで、妻の機嫌が悪くて、私もイライラするようなときは、写真を見返すようにしようと思ったという話でした。