くしゃみの強度

2月も下旬になり、だいぶ暖かく春らしい気候になってきた。こうなると困るのが花粉。

私は、1月下旬から薬を飲み始め、今のところうまく封じ込めている。2月の途中に、花粉が原因と思われる喉の違和感と咳に悩まされたが、鼻詰まりやくしゃみ連発に比べたらマシで、それもどうやら回復してきたみたいで、今のところ快調である。

しかし、うちの娘(小学4年生)はかなりの症状。同じく1月末には薬を飲み始めたがが、少し遅れたのか、2月に入ってすぐに症状が出てきた。それもかなりの鼻詰まり。加えて、熱が少し出るときもあり、1日学校を休んだくらいだった。

そこから1週間くらいひどい症状だったが、それ以降は落ち着きを見せており一安心。と思っていたら、ここに来て症状が再発。とくに朝は「モーニングアタック」と呼ばれる強い症状が出て、苦しんでいる。どうやら、花粉の飛散が本格的になってきたようで、身体が反応していると思われる。

 

さて、ここからが本題なのだが、そのくしゃみをどうするかという問題。

花粉症につきものなのがくしゃみで、男性であれば勢いよくしてもさほど問題はないのだが、女性の場合はそうもいかない。まだ小学生の女の子がおじさんばりにくしゃみをしていては、将来が思いやられる。

しかし、その一方で、女性ががまんをして「ぐふっ」とくしゃみをするのも、個人的にはあまり好きではない。おじさんばりの「ハックション!」から余韻を残すくしゃみは困るが、我慢するのもいただけない。ということで、娘には自然なくしゃみをするようにと、言っている。普通に軽く「ハクション」くらいがベストで、あくまで自然な感じでやってほしい。

 

そんなことを私が言うものだから、娘はくしゃみをするたびに、「今のどうだった?」と聞いてくる。それに対して「ちょうどいいと思う」とか、「今のはおじさんっぽいからやりすぎ」とか返答するのだが、それが親子のコミュニケーションとして悪くないなと思う今日このごろ。

娘としては、花粉症できつい季節なのだが、そんなコミュニケーションを楽しみながら、このきつい時期をやりすごしてもらえたらいいなと思った次第である。

 

ということで、女性のくしゃみの強度は加減が難しい、という話でした。

息子が「チェーンソーマン」の主題歌を歌っていたという話

「だめ、だめ、だめ~♪」と、先週あたりから、うちの5歳の息子が頻繁に歌うようになった。

何の歌かと聞くと、「チェーンソーマン」と答えてくる。

さらにどこで聞いたの?と聞くと、幼稚園の友だちにおしえてもらったとのこと。

 

やたらめったら歌うので、気になって、そのチェーンソーマンの曲とはどんなものかと調べてみると、米津玄師の「IRIS OUT」であった。

このチェーンソーマンの主題歌、米津玄師が歌っていることはなんとなく知っていた。そして、そのタイトルが「IRIS OUT」というのもなんとなくわかっていた。

しかし、その曲自体は聞いたことがなく、調べるまでは息子が歌っている曲が、それとはわからなかった。

ちなみに、チェーンソーマン自体もよくわからない。ただ作者は藤本タツキで、「ルックバック」と同じ作者であることくらいは認識していた。

 

で、何が言いたいかというと、自分のほうが早く知っていておかしくなさそうなことを、息子のほうが先に知っていたのが、何とも感慨深かったということ。

これが明らかに子ども向けの曲ならいざ知らず、米津玄師の曲を息子のほうが先にカバーしているということに、自分の老いと息子の成長というか子どもの吸収力の早さのようなものを、あわせて感じたというわけである。

 

子どもの吸収力を考えると、今後こういったことが頻繁に起こるのだろう。年を取ると、子どもたちが知っていて、自分が知らないことを毛嫌いするような傾向が出てきそうだが、できるだけ素直にいっしょに吸収していきたいなと思った次第である。

 

ということで、自分の知らない曲を息子が知っていた、という話でした。

10歳を祝う会と成人の概念

今日、娘の小学校で10歳を祝う会が開催され、私も参加してきた。

今年度で10歳になる4年生とその保護者が参加する会で、内容としては、楽器の演奏や合唱、1人ひとりが将来の夢を発表、そして親が事前に書いた手紙を読む、といった感じだった。

 

うちの娘は最初の挨拶を担当(といっても、長文を読むようなものではなく、「今から始めます」みたいなやつ)。事前に聞いていなかったので、ビデオに録画できなかったのが残念だった。その後の、将来の夢は、思った以上に大きな声でハキハキと話しており、最初の挨拶含めて、いつの間にかしっかりしだしてきたなと感慨深く感じ入った。

また、私が書いた手紙も真剣に読んでくれていて、自分が子どものころはこういった会はなかったので、どんな会になるのか事前にはよくわからなかったのだが、なかなかいい会だったなと思いながら、会場を後にした。

 

さて、この10歳を祝う会、おそらくちょっと前までは、2分の1成人式と言っていたよう。18歳成人になったからといって、式典自体は20歳でやる自治体が多く、小学校の2分の1成人式を9歳にするのだと中途半端なので、苦肉の策で10歳を祝う会になったと思われる。

成人の年齢が18歳に引き下がったことで何が変わったのかと言えば、選挙権くらいの認識しかなかったので、この機会に調べてみたところ、選挙権以外では、親の承諾なしにローンや賃貸などの契約を結ぶことできる、親の同意なしに結婚ができる、親の同意なしに10年パスポートを取得できるといったあたりらしく、依然として酒もタバコもダメで、親の同意があればできたことが、なしでもできるようになったくらい。なんとも中途半端感が否めない。

それだったら、式典も20歳でやるのだから、20歳で成人というのは残したうえで、個別のルールを18歳に引き下げるということでも良かったし、それであれば2分の1成人式もそのままの名称でよかったのに思った次第である。

 

まあ実際のところは、2分の1でも、10歳でもいいのだが、改めてこういう会があると、10年過ぎたんだなと実感。娘と過ごした10年間はかけがえのないものだったし、次の10年間はこんなにいっしょに過ごせないんだろうけど、これからも仲良くできるように、もっと言えば無視とかされないように心配りしていきたいと思う。

 

ということで、娘の10歳を祝う会に行ってきた、という話でした。

脂が苦手な子どもたち

うちには二人の子どもがいるが、どちらも好き嫌いが多い。かくいう私も、子どものころは好き嫌いが多く、人のことを言えた口ではないのだが、そんな私から見ても多い。

私も子どものころから野菜の多くを食べることができなかったので、これを子どもたちも苦手なのは理解できるどころか共感できる。ただその中でも、私はレタスやほうれん草くらいは食べることができていたのだが、子どもたちはこれらもダメ。好き嫌いが多かった私よりもさらに輪をかけて苦手な野菜が多いのである。

 

それでも野菜ならまだわかる。肉もダメなのである。すべての肉がダメというわけではないのだが、焼肉なんかに行っても、食べるのはタンばかりで、カルビのような脂が多い肉がダメなのである。

焼肉に限らず、ちょっと脂が多い肉を食べると、最初よくてもすぐに気持ち悪いとなってしまうのである。

 

魚も基本苦手。上の娘(小学4年生)は寿司を食べに行くと、最近でこそ赤身のマグロとエビだけは食べるようになり、多少レパトーリーも増えてきているが、下の息子(幼稚園年中)は刺し身はもちろん、焼き魚なんかも食べない。私が子どものころ、肉と魚はまったく問題なかった。なんで食べられないのかほんとわからない。

 

とは言え、私と同様に徐々に食べることができる食材も増えてはくると思う。しかし、肉の脂(といっても脂身ではない)が苦手というのは想像すらしなかった。普通、焼肉と言えばカルビ、子どもと言えばカルビだと思うのだが、そうではないのである。

この少しでも脂濃いとダメという症状、いつになったら改善するかわからない。いつになったら焼肉でいっしょにカルビを食べることができるのだろうか、そんなことを思った次第である。

 

ということで、子どもたちが脂の乗った肉を食べることができないのが理解できない、という話でした。

Switch2は本当に必要なのか

昨日のこのブログで、うちの子どもたちのケンカというか、よくある小競り合いについて書いた。互いに相手がやっていることがうらやましくなり、ゲームやタブレットを取り合うといった感じ。目に見えるところで楽しそうにしていると、自分もやりたいとなってしまうようである。

 

それと似たような現象としてあるのが、ここ最近だと、Switch2ほしい問題。

うちの家庭にはNintedo Switch(以下、Switch)はあって、上の娘も下の息子も遊んでいる。だが、Switchだけででなく、AmazonプライムビデオやYouTube、iPadのゲームなど、メディアも、そこにあるコンテンツも溢れかえっているので、Switchだけやっているという状態ではない。しかもSwitchの場合はソフトの入れ替えが若干面倒くさいこともあって、遊ぶときはちょっと重い腰を上げる感じ。iPadのゲームのほうが気楽にできてとっつきやすいようである。

 

そんな感じで必ずしもSwitchがないとダメというほど遊んでいるわけでもないのだが、それでもやはりSwitch2はほしいようで、事あるごとにほしいと言ってくる。またイベントごとの景品やくじ引きの景品にSwitch2があるとテンションが上がってもうもらったかのようになり、とくに下の息子(幼稚園年中)は外れると泣き出してしまったりすることもある。

 

と、本人たちはほしがっているが、Switch2を買ったところで、まず間違いなく現行Switchと同じくらいしか遊ばないと思う。加えて、リリースされているソフトもあまりなく、親から見ると、少なくとも今の段階でSwitch2は必要ない。

それでもCMで見たり、他の子が持っているとほしくなるのが子どもの性というものか。本当に遊ぶかどうか、本当にほしいかどうか、ではないのである。

 

きっとどこかで買うことになるんだろうが、そのときはどうしても遊んでみたいソフトがでたときか。そのときは、みんなが持っているからではなく、本当にほしいかどうかを確認したいと思う。

 

ということで、Switch2はまだいらない、という話でした。

コンテンツもメディアも溢れている時代の兄弟げんか

うちは小学4年生の娘と幼稚園年中の息子がいるのだが、しょっちゅうケンカをしている。ケンカというと大げさなのかもしれないが、お互いのことをズルいと言い合ったりと小競り合いや告げ口をすることが多い。

そのケンカの原因はたいていが動画やゲームなどのメディアの奪い合い。片方がゲームをしているとうらやましくなり、自分もやりたいということで揉めるのである。

 

しかし、である。今やそんな多彩なメディアにあふれている。受信機としてのテレビにはAmazonプライムビデオが接続されていて無料で映画などのコンテンツは見放題、TVerNHK ONEといった見逃し配信もあれば、YouTubeにも接続できる。他にも、うちには子どもたち専用でiPadもあり、こちらではゲームもできれば、動画も見ることができる。またNintedo Switchもありゲームもできるし、娘は自分専用のKindleがあり、これでマンガをみたりしている。

メディアもたくさんあるし、それに対応するコンテンツも消化できないくらいにある。それなのに揉めるのである。

 

私が子どものころは、テレビはNHK含めて4チャンネルしかなく、もちろん見逃し配信もYouTubeもない。とくに祖父母の家に遊びに行ったときなどはやることがないので、面白いテレビのない時間帯は、トランプなどのカードゲームをするくらいしかやることがない。年末年始なんかも親戚が集まっていたが、これといったこともないので、仕方なく放送していた紅白や箱根駅伝とかを見ていたのを思い出す。

 

そう考えると、今の子どもたちはうらやましいくらいコンテンツにあふれている。暇する時間がないくらいにいろいろあるのに、それなのになんで揉めるのかがよくわからない。ただ、子どもの気持ちになって考えると、他の人がやっていることが楽しいことだ、人気なことだと思うようにプログラムされているのかもしれない。さらに裏を返せば、そんな他の人をうらやましいとは思わない、自分はこれが好きだと思えることが大人になるということかもしれない。

 

そう考えると、こういった小さな揉め事は今後も続くだろうが、親としては子どもに対して、自分は何が好きで、今本当に何をしたいのか、事あるごとに説いていくことも大切なんだろうと思った次第。そういう問いかけを面倒くさがらずにやっていきたいと思う。

 

ということで、子どもたちの小競り合いが多い、という話でした。

注射で相対化させる

うちは、娘(小学4年生)と息子(幼稚園年中)と二人の子どもがいるが、どちらも年々生意気になってくる。とくに下の息子は、だんだん語彙が増えてきており、いろいろな概念も理解できるようになっていて、二言目には「違う!」と言ってくる。何が違うのかよくわからないことも多いのだが、とりあえず否定から入るのは良くないなと思う今日このごろ。かわいい盛りももうそろそろ終わりだなと感じている。

 

この気になる口ぐせをどうするか悩む日々だが、それと同じくらい面倒なのが、ちょっと不快なことがあるとそれを訴えてくること。最近で言えば、すぐに寒いと言ってくるし、どこかに不快感があるとすぐに痛いと言ってくる。我慢という言葉を知らないのである。いちいち真に受けていては物事は何も進まないのだが、それでもしつこく言ってくることがある。しかも、それは大人から見ればすぐにわがままとわかる範疇。

 

こういうとき、有効だと思ってよく使うのが、「だったら病院に行って注射打ってもらおうか?」と返すこと。お腹が痛いと言えば、それだったら注射打ってもらおうね、と言うと、それなら大丈夫となる。注射の痛みと比較させることで、今の症状が些細なことに気づかせるというわけである。

注射に限らずだが、1つの事象として捉えるのではなく、比較をさせて相対化させることが有効だと気づいた次第。このあたりは子どもたちとコミュニケーションを取る中で意識していることである。

 

もちろん、本当に苦しんでいる場合も考えられるので注意は必要である。ただ、わがままなのか本当に苦しいのかは、きちんと症状を見ていれば気づくことかと思っている。言っていることではなく、行動や表情、またその変化を注視しながら、子どもたちと向き合っていきたいと思う。

 

ということで、注射と比較させるとわがままを言わなくなる、という話でした。