「リベラル」の2つの意味

「リベラル」という言葉をよく聞くけれども、この言葉の概念がわかりにくい。

それは、2つの似て非なる意味を内包しているからと気がついた。

 

Webでこの言葉をちょっと調べてみると、

『個人の自由や多様性を尊重する「リベラル」。当初は「権力からの自由」を重視した。』
という説明があった。
 
この2つの文の内容を、後者をA、前者をBと分けて書くと以下のようになる。
A.権力からの自由
B.個人の自由や多様性を尊重するという自由
 
Aは権力の反対側の概念のことを指し、Bは(権力側の考え方も含めた上で)多様性を尊重することを大事にするという考え方と解釈できる。
 
具体的な例として、 喫煙・禁煙に対する考え方を挙げてみたい。
例えば同じ嫌煙家であっても、
Aはこれまで喫煙側が幅を利かせていたのに対抗して、絶対的に禁煙を推し進めようとする考え方
Bは喫煙・禁煙の区分をどこで線引するかはいろいろな考え方があるものも、双方の権利を尊重しようとする考え方
と整理できる。
 
 
一般的に、リベラルと呼ばれる人たちはAの考え方をする人たちを指すことが多く、この考え方をつきつめるとどうしても極端な考え方になってしまう。そうなると、リベラルと呼ばれる人が多様性を尊重しないという、Bのリベラルの意味からすると違和感を生むことになる。
ということで、同じ「リベラル」という言葉でも、2つの似て非なる意味を持っているため、非常にわかりにくくなっていると感じた次第である。
 
Bの考え方は言い換えれば愚行権を認めるということに近いのではないかと思う(愚行権という言葉は佐藤優氏の著書ではじめて知ったと記憶している)。愚行権という概念を理解し、それを尊重することこそ、本当のリベラルではないかと私は思っている。
 
個人的な信条で言えば、私は(たばこの例は別として)Aの意味ではリベラルではなく、どちらか言えば保守の部類に属すると思うけど、Bの意味でのリベラルでありたいと思っている。
なんて言いながら、うちの会社では一部の喫煙所を除いて全社禁煙にしたのだけれども。