就職面接で「成長したい」とは言ってはいけない理由

採用面接や就職活動をしている学生との対話で、よく出てくる単語が「成長」というもの。

学生や求職者から「成長できる環境で働きたいと思います」とか「御社であれば成長できると思って志望しました」なんてセリフが出でくる。

一見、何の問題もなさそうなこの「成長」というワード。それどころか、前向きでいいねと思う人も多いかもしれない。しかし、私は正直違和感がある。ありまくる。

なぜ「成長」という言葉に違和感があるのか、ここでまとめておきたいと思う。

 

まず、違和感の正体としてよく挙げられるのが、会社は個人を成長させることが目的の組織ではない、ということ。

社会人経験のない学生からしてみれば仕方ないことかもしれないが、それまでの所属していたさまざまな学校はまさに成長が目的の組織。その延長線上で考えてしまうのも無理はない。しかし、会社は何らかの価値を提供をする場所であり、それが目的。結果として成長という副産物がついてくるかもしれないが、それはあくまでも副。主客が逆転しているので、違和感があるというわけである。

 

次に考えられる違和感の正体は、その「成長」という言葉の解像度が低さからくるもの。

学生側からすれば、安定性のある会社を選びましたとか、楽そうな会社がいいです、とは言えない。となると、便利な言葉として用いられるのが成長とか成長性。これであれば、個人の成長にも、会社の成長性に使えて便利である。会社側としても、成長したいという学生のほうが、安定性を求める学生より良いイメージがあり、共犯関係のような構図になっていたりする。だから何の気なしに、この言葉を多用することになる。

しかし、成長したいと言っていながら、別の場面ではワークライフバランスを保ちたいとか言ったりする。厳密には、ワークライフバランスと成長は両立しないわけではないが、ふわっとした使い方をしていることが違和感を覚えることにつながっていると考えられる。

 

と、ここまではよくある違和感の正体かと思う。ここからもう一歩進めて考えてみたいのだが、学生や求職者に対して、成長という言葉に対する解像度が低いと言っておきながら、自分もきちんと定義できていないと思ったので、ここでこの言葉の定義をしてみたい。

まず、辞書的な意味としては、「人・動植物が育って大きくなること、または大人になること」および「物事の勢いが増して、規模が大きくなる(発展・拡大する)こと」とある。物理的に大きくなる、もしくは質的に良くなる、という意味合いが含まれている。

ここから、さらに就活用というか、仕事を通じた成長というの意味合いで私なりに以下のように定義してみた。

 

「適切な負荷に向き合った結果起こる”良い”変化」

 

ここでのポイントは、何かしらのプロセスでの前後の変化であり、しかもそれが”良い”変化であること。悪い変化であれば、それは成長とは呼ばないだろう。例えば、仕事に慣れることで、手の抜き方がわかってきた、というのは一般的には成長とは呼ばない。

さらにここからが大事なのが「適切な負荷」というところ。負荷と言っても、いろいろな方向性があるし、その強度もまちまち。この負荷の方向性と強度が自分に合わないと成長にはつながらない。一方で、自分の得意なことばかりやっていても、これまた成長にはつながらない。

そう考えると、成長というのはあくまで結果であって、事後性が高いものだとわかる。後から見ればあれは成長につながった経験だったとわかるけど、事前にそれを予測するのは難しい。最初は気乗りしなかったけど、やってみることがいい経験ができ、それが成長につながったと感じた、なんてことはよくある。逆に、これはいい経験につながるだろうと思って参加したプロジェクトで、人と合わなかったとか、負荷が強すぎたとかで、嫌な経験になり、結果して成長も感じられなかった、ということもよくある。

そんな感じで、その経験自体が成長につながるかどうかは事前にはよくわからない。なのに、事前に成長したいと言うから、言葉が上滑りしてしまうように受け取られ、違和感につながるというわけである。

 

もちろん成長したいと思うことは悪いことではないし、会社としてもそういう気持ちをもった人に入ってほしいとは思う。しかし、採用面接なんかの場面で、成長したいということを前面に押し出すのは得策ではないと感じたので、その理由をまとめてみた。どうしても、成長を伝えたいのであれば、自分が成長したなと思う経験を伝えたほうが効果的だと思う。

 

ということで、面接での「成長したい」という言葉は違和感がある、という話でした。